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パン・オウ・ショコラ

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クリスチャン・コンスタンのパン・オウ・ショコラを絶賛したが、日本にも美味しいパン・オウ・ショコラはある。

ロワゾー・ド・リヨンのパン。フランス系の絶品のケーキ屋さん。そこのパン・オウ・ショコラはやはり美味しい。もちろんケーキも美味しくて最近ご愛用している。


update2008/02/01

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イリー・コレクション

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イリー・コレクション。クネリスのカップ。

クネリスは、アルテ・ポーヴェラの大好きな作家。ドキュメンタでヨーゼフ・ボイスが結果的に挑発されて、クネリスの作品の前で黄金の王冠を溶かすパフォーマンスをした。ドキュメンタでクネリスは急遽、漆黒の色から黄金の色に壁を変えたからだ。国際展ではよくあることで、隣の作品を充分に意識して作品を設置する。だから国際展はカタログと出品作品が異っていることがよくある。
名古屋にICCがあって、南条さんや逢坂さんが活躍していた。
生きた馬を展示したクネリスが使ったギャラリーによく似た作りをしていたICCにクネリスが招聘されたのは当然といえば当然だった。作品は黒い壁ような迫力と野の花を飾る繊細さとのアンサンブルだった。『EOS』は、クネリスにインタビューを申し入れたが、イタリア語の通訳がなかなか’見つからなかった。たまたま取材に行っていた先で、若桑みどりさんが、私がやってあげるよとかってでてくださった。恐縮至極。若桑みどりさんのイタリア語は、日本語同様上品ではあるが、ちょっとべらんめい調だったのは気のせいだったろうか。
ご自分の聴きたいこともあったろうに、本当に通訳をしてくれた。こんな贅沢なことをしてよいのだろうかとドキドキしたことを覚えている。しかしまぁ、そうして若い人間は育っていく。育ったかな、ちゃんと…。若桑さん。


update2008/02/01

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イリー・コレクション

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ほんとうに久しぶりに外に出て自転車で銀座に向った。
途中、日本橋に大きなイリイの店ができたのでエスプレッソを立ち飲みしていると、イタリア人の店長が流暢な日本語で話しかけてきた。

イリー・コレクションのカップは大好きで、クネリスとアブラモビッチを持っている。最近、ヤン・ファーブルを買ったなどと話していると、イタリアも物価が高くなって、日本人のブランド買いがめっきり減ったと。イリー・コレクションも買えないよとぼやいていた。イリー・コレクションは、現代美術の作家にエスプレッソ・カップをデザインしてもらうというもので、ヴェネチア・ビエンナーレとも関連している。これが思いきったデザインでとても面白い。現代美術がプロダクトと組む例は最近多くなってきたが、これは作家にも買う側にもかなり成功していると言える。ところでそのドゥカティ(Ducati)のバックいいねぇ、と店長さん。あ、これはTUMIとのコラボのバッグですよ。へぇ、ラインがドゥカティのバイクそのままだね。もしかしたらアートではないけれど、これも成功しているコラボかもしれない。では、またねと挨拶をして銀座の画廊に向った。


update2008/01/29

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色川のオヤジさんは

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色川のオヤジさんは五代目。文久年間から続いている。でも仕入れるのも焼くのも客の相手もオヤジさん一人。

客が悪いからよぉ、駄目なんだよ。
これは良く言う、自浄努力をしないで責任転嫁する時の言い方だ。オヤジさんの店はひっきりなしに人が来て、事務所がすぐ側で様子を見ながら来ている自分でもしばしば入れないことが多い。だから満員何だけどちょっと不満。お客のよいしょとか、そんなのは全然、いらないし、まぁ、客が厳しくて切磋する自分、相互にできあがっていく部分というのがあると思っているのだろう。店は客が作るとも言っている。(そんなことはなくて店はやっぱり店主が作るんだけど、どう客を考えているかで大分、全体が変わり、ひいては自分に返ってくる。)厳しいっていっても充分に粋な感じで愛がないと駄目だしね。
客の悪いのは、味に関してだろうな…。味が分らないというのは、簡単な言い方だが、もっと言えば味を楽しめないということなんだろうな。自分勝手にじゃなくて、色川の鰻の味として楽しめるかどうか、ということだろう。蘊蓄も語らずに、ただ楽しむ。お、今日はこんな感じの鰻なんだ。鰻って、一匹ずつ味が違うからね。ふわっと人生とか、食べ物とか、楽しめるようになるのはいつなんだろうと思って、若い時代をすごしていたけど、なかなか。でもまぁ到達とか考えず、楽しむっていうことだ。でも味は分んなくちゃ駄目だよね。基本として。ね、おやじさん。


update2008/01/27

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『フランケンシュタイン』(1931) ユニバーサル

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最後は火炙りなのか…。原作の氷の果てに消えていくシーンとは少し異るな。

1931年はユニバーサルのモンスター元年。ベラ・ルゴシ主演の『魔人ドラキュラ』(1931)が成功を収めると、すぐに『フランケンシュタイン』(1931)が作られた。ドラキュラで異彩を放ったレンフィールド役のドワイト・フライがフランケンシュタイン博士のせむしの助手役、博士の友人のワルドマン博士に、バンヘルシング役をしたヴァン・スローンが演じている。二人とも迫真の演技。特にフライは不気味な怪物性を発揮している。ベラ・ルゴシがフランケンシュタイン役を断ったために、ボリス・カーロフが抜擢された。下済み役やだったカーロフは大抜擢にもかかわらず、そしてくせ者俳優たちに囲まれても臆することなく堂々と演技をしている。言葉の怪物の喜怒哀楽を見事に演じている。ふと歌舞伎役者の市川左団次に似ていると思わせるところがある。(予断だが市川左団次、坂東玉三郎主演の『天守物語』で鬼の役を好演している)
フライもスローンも主役達を食う勢いで、役者の演技だけを見ていても楽しめる。原作の言わんとするところからはすでに離れているが、映画にはオリジナルの物語があって作品としては『魔人ドラキュラ』よりも上かもしれない。口の利けないモンスターを物語に絡めていくのはなかなか難しいが、最初にして成功しているのは、役者たちの起用があたっているからだろう。

update2008/01/18

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蝕が訪れる季節に

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パワープレイでしか抜けていけない季節がある。
実は今もパワープレイが全盛のときかもしれない。

ただし今、時代が違うと思うのは、パワーがインナーなところで使われるというころだ。
それは自分でも意識していないことが多い。
だから効果もある。一見すると。(本当はそんなことはなくて自分に返ってくるんだと思うが)

インナーな
パワーは一定の量が溜まり臨界点を超えると
爆発する。
外にでてしまうのだ。
間違えるようにして出た目標のないパワーはオーバーフロウして磁場を狂わす。

そのとき蝕が訪れる。

だれも望んでいないのに。

その蝕すら払うパワーがあるならそれを自分のものにしたい。

update2008/01/05

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中国茶

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他のお茶を飲んで始めて自分に宿った感覚が分った。
中国茶を作法どうりに入れてもらって口にした瞬間
入れた人の手の感じ、お茶に対する感じがすっと感じた。

お茶の入れ方は人それぞれ 僕のお茶の師匠はラフっと入れる。師匠は星川京児さん。他人の入れ方を見ていると違和感が在るほど、僕は星川流に慣れている。良かったなと思う。僕はラフなところでチューニングを合わせるのが好き。それでも強いお茶を14せんとかまでゆっくりと変化を楽しみながら入れていく。1せんずつ味が異るのでお茶は面白い。その1せんずつの味の違いがわかるのようにしてくれたのも星川さんだ。あーせー、こーせーというのは一切言わず、質問に答えてくれるだけだけど。それがいい感じに手を延ばしてくれた。

お茶にはゴット・ハンドとデビル・ハンドがあって、どんなベテランの人でも巧く入れられるとは限らなくて、どうしてもお茶が美味しくなくなってしまう手があるらしい。それは薄々自分も知っていて、なんか悲しいと言う人がいると…。余り上手でなくても美味しく入る人がいる。お茶の舌は、お茶を言える経験で繊細になる。それもどう教わって、どう入れていくかということによる。

いろいろな感覚に蝕が訪れている中、感覚が繊細になっていくものがあるのは嬉しいことだ。感じることができる、把握することができるのは、快感であるし、今、生きてて良かったな思うことでもある。

星川京児さんは民族音楽のプロデューサーで、酒飲みで、お茶飲で、グルメで、散歩人だ。

update2007/12/29