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掌にある人形と

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記憶を映像的にする人と
言語的にする人との話をしていて


ふと思いだしたのは
山科の山荘での一夜
舟越桂、森村泰昌、椿昇、宮島達男、大竹伸朗が
集まって話をしていたときに
気がついたのだが
全員、映像的記憶を駆使していて
他人の映像記憶を脳に焼きつけることすらしていて
言語派の僕は唖然としたことがある。

さらに舟越桂が森村泰昌の姿を彫刻にしたいと
頭蓋を触ったことを話していて
指の記憶というのもあるのでは…。

と、思うに至り、
パチンとはじけるものがあった。
恋月姫人形を抱いた時から
今の人形の仕事が始ったのだが
それは始るとは思わない始まりだった。

手から
指から
人形の何かが伝わってきたのだろう

これは一体何なのか
好奇心にスイッチが入ると
僕はとまらなくなる。

そのまま現在がある。
まだスイッチは入ったままだ。

清水真理の人形は
そうしたことから言うと
動く何かだ。
動くことから始っている。
それが何であるか、まだ分らないところが多い。

人形は不思議だ
と、常識的なことを言ってみる。
それでも納得はいかない。いかないから彷徨はまだ続く。

update2009/01/27

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清水真理人形展

あったのは今から10年以上前

ぼろぼろになった
夜想をもって会いに来てくれた。

今でも忘れない。
こんなに読まれてくたくたになった夜想を見たことがない。
それ以降、今に到るまで。

人形は何度も見ていて
この間、青木画廊で見て
何かが変わって
輝いて見えた。

それを確かめたくて
bisに来てもらった。

確かに少し多く開かれているのが
バランス、今
という感じだ。

今というのは少女の人形にとって
とても大切。

理想をもとめた
そして理想の形体を作った時代とは少し異る。

女形が今を映すように
少女は形態として存在する。


update2009/01/26

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中井英夫 Ⅱ

中井英夫には『模倣のすすめ』という一文があって
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原作を翻案する感覚は
あまりに日本人的な嗜好と、わかちがたくからみ合っているこが容易に理解できよう。

と、短歌や小説の翻案を日本的な文学の土壌、血的な土壌に寄っていることを
述べている。

三島由紀夫は、日本の大衆小説の殆どは外国ダネだから、盗むなんてのは不思議ではない。まァ一流文学は外国文学を“下敷き”にして二流文学は盗むということだ。

と、言っている。

中井英夫の言いたかったことは、この連綿と続いている日本の血に流れているかのようなDNAを見極めないで、盗作が悪いということは、同じ穴の狢だ、ということだ。

中井英夫は生涯一貫してこの姿勢を貫いている。
寺山修司が登場した時に、俳句からの盗作を指摘されて集中砲火を浴びた時も、短歌という制度の中で飼ってきた翻案ということを論じないで、ただ寺山修司の盗作を非難するのはおかしいという態度をとった。

ここには日本文学の大きな問題が横たわっている。

中井英夫の『虚無への供物』はそのことの逞しい実験にもなっている。

update2008/12/20

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表層の隙間に…

発祥するものは

2時間が過ぎても
まだ話は尽きない。およそ三分の一くらいだろうか聞きたかった予定量の…。珍しい。別に建石修志さんが話し好きというわけではない。淡々と2時間。鉛筆から混合技法のあたりで時間が尽きた。またどこかでぜひお聞きしたい。

絵の表層性の中で、たとえばパースを使わないで絵を成立させる感覚。それは表層のディテールだけでもない…。トーンと形の狭間にある何か。絵画の表面性とは理屈では分らないものかもしれない。見る(目)、感じる(脳)、描く(手)というトライアングルの中で生成する絵画。絵を生成させているのは頭ではないだろう。

大学院生の時にすでに時代の寵児であった建石修志。『凍結するアリス』の鉛筆ドローィングは、寺山修司、中井英夫たちに認められて、天井桟敷のポスターや中井英夫の本の装幀を手がけていた建石修志。それは30年以上前のこと…。そして今も建石修志は少年とオブジェを描き続けている。

update2008/12/08

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建石修志展 「表層の浮かぶ夢」 オープン

70点を越えてまだ作品が搬入されている

今日も徹夜で飾り付けになるだろう。
広い3会場が作品で一杯になっている。

箱の作品もキュート。
画家の作る箱作品はまたトーンが違う。

暗号が絵に忍んでいる。
読み解けるか?
無理だろうな…。

羊皮紙や皮に描かれた鉛筆のドローィング。
時代が移ろって
流れている。

そして今、
新作はまた新たな建石修志の方向性をとらえている。

update2008/12/04

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建石修志展 「表層の浮かぶ夢」

70点近い作品と

建石さんが装幀した本が運び込まれた。

+
セッティング案を相談しながら手を止めて話をする。
僕と建石さんは文化圏が微妙に異るところにいたので昔の話でもとても新鮮だ。
土方巽、寺山修司、笠井叡、中井英夫。
そして絵の話。

混合技法がまだなかった頃。
ペヨトル工房は川口起美雄、高橋常政を講師に、東京芸大の佐藤一郎 坂本一道 田口安男をゲストにセミナーを行った。
ここから混合技法は日本に広まっていったのだと思うが、
建石修志の参加は
まだもう少し先のことで、その頃には僕はセミナーの運営を止めてしまっていたので交流はない。

混合技法は、透過層と不透明な層との組み合わせという面もあるし
油彩の多彩さを引き出すテンペラの白という考え方もある。
あの頃は、直線的に理解していたが
いまさまざまな方法で混合技法が定着しているのを見ると隔世の感がある。

技法が使い込まれると
そこに感覚を反映できる雲のような隙間が生まれる。
予想もしなかった表現のユニークさが生成する。
微妙な破調をともなって。

日本の混合技法はもうそんなところにまで来てるのではなかろうか。


++
そして建石修志は鉛筆から始った人。

鉛筆の技法が初めて手に来た時の感覚…。
来るというのは、いろいろな時に起きるが
その話には典型がない。
だから作家の人の出来たときの話はとてもぐっとくる。

建石さんの鉛筆画は乳白色の色がある。
それも鉛筆で描かれている。
凄いな…。

update2008/11/30

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嘘つき大統領と放言首相

放言に放言を重ねる首相だけど

傷つけたらあやまるけど…
なんていう撤回の仕方自体が本音まるだしだ。顔が謝ってないよな。口とんがらかせて…。子供っぽい。
会見の後で神楽坂の彼女に『ぼくちゃんまたいじめられちゃったの。』って赤ちゃん言葉で電話しているかもしれない。

嘘で固めたイラク戦争のサポートの名の元にインド洋で油を垂れ流す法案を
党利で賛成したり反対したりする民主党とともに必死で通そうとしている麻生首相。国は緊急時なんですぞ。もう少し国が壊れなくて済むような方向で政治にだずさわって欲しいものだ。

ブッシュは、嘘をついてイラクを侵略した。
アルカイダは壊滅させるのが難しいから、楽なイラクにしよっと。ブッシュはそう言ったのだ。アルカイダとフセインが関係あるというのは、現在に至るまで証明されていない。アフガンから戦力をイラクに廻した。追いつめられていたアルカイダは息を吹き返した。そしてパキスタンで活動を開始した。インドの大規模テロもアメリカのアルカイダ放置と関係があるだろう。アルカイダを壊滅させてしまえば良かったという話ではなく、中途半端ないじり方をしたら怒るでしょうということだ。それは大国の身勝手、ブッシュの気まぐれなのだから。ブッシュはもともとイラクを叩きたかったのだ。大統領になったときから。この嘘つき度合は、戦後弾劾されつづけたヒットラー以上の悪質さだ。嘘でどれだけの人が死んで、経済がどれだけ疲弊したのか。ブッシュの妄想が引き起こしたリセッションが世界を巡っている。

イラクからは大量破壊兵器は出てこなかったし、核開発もしていなかった。資源のない北朝鮮が核開発をしても国を攻めないが、イラクは実際に作ってもいないのに攻めた。そこには油があるからだ。でも上手に油は手に入れられなかった。それが油の高騰につながった。油の高騰は、サブプライムの崩壊で行き先を失った金融資金が油に向ったからだということもあるが、油を欲しがって失敗したアメリカの動きに大きく関連している。

油の値段を下げるのに投機マネーを規制してもコントロールは利かない。値段を下げるには使用量が減るという観測が蔓延することが必要だ。そうしたら投機マネーは自動的に手を引く。あるいは金融資金の供給量が減れば油の値段は落ちる。いま、世界が目の前にしている不況→恐慌への状況は、まさに油の値段を下げる要素でできている。油の値段は下がったが、それはちょっと前の値段であって暴落はしていない。金融のお金が回っている分、値上がりしていたのだ。それをとっぱらってみるとこんな感じなのかもしれない。金融の資金、いわゆる実態経済でない部分を取り払った世界が、いま、見えている不況の世界なのかもしれない。えー、そうなら嫌だなぁ。

嘘つき大統領の経済政策は、金融を膨らませ切った状態を作り出した。そしてそれを破裂させる軍事行動までしてくれた。それにつき合っている日本もいい加減、お人よし過ぎる。それにしてもチェック機能がなさすぎる。切れ味のある、影響力のある書き手はいないものだろうか。

アメリカは腐っているが、最近、ノーベル賞をとったポール・クルーグマンは面白い。この人は経済学者だが、現在時でコラムを書いている。その分析が的確で、ブッシュの嘘を想像しながら書いている。自分で言っているが、危険極まりない書きっぷりだと。終わった後に書いたり分析したりするのは簡単だ。結論から自説を導けば良いのだから。現在時で書くのが難しい。勇気がいる。正確さがいる。90%以上がイラク戦争を支持しているときに、クルーグマンは、『嘘つき大統領のアブない最終目標』を書いている。イラク陥落の日にアメリカで『?』を投げ掛けているのだ。そしてそれは今読んでもあっている。

クルーグマンは予想屋さんではないが、現在分析が予知力をもっている。
ずいぶん前に世界恐慌がくると言っている。
経済論は必ず政治と関係する。そのなかで比較的政治色の少ないクルーグマンだ。結果としてはブッシュを非難しつづけているけど。でも別に民主党と言うわけではなく、経済政策がまずいでしょうと言っていることから派生している政治手法への批判なのだ。

さて、日本の経済政策。え、そんなものあるのかい。というくらいなさけない。金融国家創生をうたっていた竹中平蔵、6ヶ月前くらいにアメリカのサブプライム処理は早いですよ。日本をお手本にしているから、いまもう処理は終わりつつあると思いますよと言っていたけど、あたらなさすぎる。グリーンスパンと同類だからしかたがないけど。日本に現在時に機能している経済学者っているのだろうか。そんな人がいたらちょっと本を読んで見たい。


update2008/11/28