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勅使川原三郎

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久しぶりの握手は、以前と違う何かを僕にもたらした。

重たい固い感じ。身体の芯がずんと伝わってくるような感じ。
インタビューのあいだ中、ずっとその感触は残っていて、あたかも触れ続けているかのようだった。

+
ガラスの原理、ガラスの粒子。光、光の粒子。空気の浮力。
足の間で振るえる重心。振れながらガラスのフラグメントの上で揺らぐ。光は割れたガラスで究極の乱反射を起す。身体が融解していく。粒子の中に。

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振りとか、形式とか、フォルムとか。見せる行為をする以上存在するが、それを矛盾としている。原理にダイレクトにアクセスする。その方法を発見しようとしている。本番の舞台で。

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僕はインタビューの方法を変えた。思考を消去してただ人の前に立つ。方法はない。相手の流れの中に身を委ねる。

インタビューは勅使川原三郎が参加する、横浜トリエンナーレのもので『Art it』に掲載される。頼まれたインタビューの内容から逸脱して、流れていく中に、勅使川原三郎が求め続けているもの、その方法の何かの、言葉にならないものが僕の前を通っていった。ああ、そうだったんだ。究極の創造、身を晒し、危険を侵してでも実験して、掴もうとしているもの。

純粋なんだな。表現するということに対して。

この不思議な感覚の交流は、たぶん勅使川原三郎の伝播力なんだと思うが、すらっとそこに居れる自分であったことにちょっと感謝した。

まだ可能性がある。僕にも。


update2008/05/30

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『風船乗評判高閣』 河竹黙阿弥 1891年

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菊五郎紙人形の如く、段々に手足を動かし瓦斯の気一杯に這入し

思い入れにて立上がり、ふはふはと上手へ行くを…

『風船乗評判高閣』は、明治24年1月の歌舞伎、大切浄瑠璃所作事として上演された。
上之巻は上野博物館前の場で、スペンサーの風船乗りを五世菊五郎が演じた。戯曲の中でも「念者」言われているように、凝り性な菊五郎は、取材を重ねているので、服装もそっくりに作っている。口上も英語で述べた。

はじめに紙人形に瓦斯を入れて浮せたり降下させたりを見せる。その後、菊五郎がその紙人形に模してでてきて、瓦斯を入れる振りをしてもらって演技で瓦斯入り人形のふわふわを演じる。そののち早変わりしてスペンサーになり宙乗りをする。いやぁ素敵だ。叶うことなら見て見たい。浅草寺に中村座が建つらしいが杮は、『風船乗評判高閣』で如何? ついでのことに菊之助で。

下の巻は浅草の凌雲閣
凌雲閣に昇って風船乗りのスペンサーを見物した円朝(菊五郎)が二の酉を見に浅草に来て、浅草芸妓・小松とあって凌雲閣の話をする。話の中では勘当していた円朝の息子(菊之助)、本当に勘当が解けた菊五郎の養子、菊之助がお広めの舞踊をする。そして最後は円朝の菊五郎が踊って大切になる。

菊之助も勘当されていたが、円朝の息子も勘当されていたし、円朝は凌雲閣下に茶屋を営んでいた。現実話をとことん取り込んでの芝居仕立て。平成から想像しても楽しいのだから、当時は、やんやの面白さだったろうと思うな。

update2008/05/29

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凶、凶、吉。

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山門に灯はなく

仲見世の白色灯だけがやけに明るい。

昏い山門をくぐろうと浅草寺幼稚園の前にさしかかると
ひらひらと地を白い紙が翔んでいく
少し追ってみるともう一枚。

絡み合うようにして山門の方へ抜けていく
ひらりとまった二枚の紙は竜の水道の溜まりに落ちた。

見ると二枚の凶のお御籤。凶、凶。
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僕は夜想の編集長なのでほとんど神社仏閣に手を合わせない。神頼みすると切りがない。負をたくさん集めると役になると勝手に思っている。夜想だもの雑誌が出る時に祓われるでしょう。たぶん。そんな気持ちでずっとやってきた。凶、凶は、たぶん吉。

それっ!!

update2008/05/29

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頭なんておこがましいからよ

兜なんだよ。尾頭つきなんていうじゃねぇか。だけどよ…。

いつのまにか『色川』さんも黙ってメニューにしてくれている。
今日は奥で宴会があるので、焼き鳥、肝、兜、2本ずつのフルセット。? いつもより黒い?
ううーん。焦げが鰻の油を吸った炭の薫りで香ばしい。美味しい。

江戸にいて良かったなとつくづく。
鎌倉文化人は浅草に通うのが好きだったらしいけど、30年前から浅草をうろうろして、今じゃこっちが長くなってしまった。三代住まないと江戸っ子じゃないらしいけど、間に合わないや。ここにいて江戸の空気を吸っていればそれでいい。

+
合羽橋の入り口にある生涯学習センターの図書館には、池波正太郎コーナーがあって、浅草が故郷だと言っている二天門前の姿が映っている。

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子であるかどうかはともかく、ご飯の美味しい、そして気を使っていないような、それでいてなんとなく受け入れてくれている、この感じはとても好きだ。


update2008/05/28

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モナコGPを前に

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電車の中吊りを見ていたら

ホンダの宣伝があって、四角い箱が、変化していくというような、どうでもよいようなCMだった。CMで判断しちゃいけないかもしれないけど、分るよ。この感じ。トヨタがエコを売りながら、F-1にでていくあの感じに近い。

ホンダもトヨタのような普通の自動車メーカーになってしまっている。なのにいつまでもレース・スピリットがあると、勘違いしてしまうのは止めたほうがよいんだろうな。

先日、福井社長が、琢磨は必要ない、だってバリチェロと代えてもポイントとれるかどうか分らないでしょ、日本人だからって乗せることはないよ。という発言だ。トップ争いをするような車に乗らないと腕は落ちていく。万が一そうでも、そりゃホンダのせいなんだからそれをいっちゃいけない。しかも今の段階ならバリチェロより琢磨の方が速いし、開発能力もある。

ルノーは琢磨が走れなくなって、ピケに取って代わるのではないかというパドックの噂に対して、琢磨を入れることに何のメリットがあるの? 日本は市場がないんだから意味ないよと発言している。嫌な言い方かもしれないが、こっちが本音に近くて、F-1らしい。走るのが遅くてもブラジル人ピケ。南米市場を見据えて。ブリアトーレはピケのマネージ料も欲しいし。

ホンダもそう言えばいい。南米市場が必要だからバリチェロなんだって。だから日本人にホンダの車をアピールしなくて良いと踏んだホンダの社長にちゃんとお礼をしなくっちゃ。ホンダ不買運動とかね。F-1やっているしまだまだトヨタよりレース・スピリットがありそうに見せてるから大丈夫だと思っているんだろう。

もうホンダはレース屋じゃないんだ。琢磨を放り出した時からそれは分っているのに、気持ちを引っ張っていた僕が悪い。時間が経つと原理は変わっていないのに忘れてしまう日本人の特質を利用して、アグリチームを作って適当にバッシングが消える時間稼ぎをしたんだと思う。ホンダは。

鈴木亜久理はある種、義理人情で日本の車に乗り続けた。でもだからこそ3位表彰台にあがれた。誰かが助けなければF-1では結果はでないのだ。亜久理は、自分がしてもらったことを実力ではじめてF-1に来たドライバーをなんとかすることで返したかったんだと思う。亜久理は、見かけによらず浪花節だから。

ドライバーの養成もしている亜久理にとって、琢磨で駄目ならどうしたら良いんだということになる。佐藤琢磨は、イギリスF3のチャンピオンで、マカオの優勝者で…セナやシューマッハクラスのキャリアでF-1に上がったのだから。キャリアを積んでも、実力があっても日本人は駄目という証明になってしまう。

未来を含めてホンダは琢磨というドライバーを活かせなかった。活かせないのは、ホンダという会社に、レースをするスピリットが足りないからだ。特に上層部にスピリットが足りない。ないのにやるのは失礼だ。本田宗一郎に。

中には中本さんのように情熱を持って、会社のやり方は違うよと言う人もいる。でもトップがその気じゃないと駄目なんだ。信長が比叡山を壊滅させようとしたときに、光秀が、良い坊主もいますと言って取りなそうとした。良い坊主が少しいるから却って駄目なんだ。腐っているのに、ほんの少し良いものがあるから、滅びず存続し続ける。その状態が最悪なんだと信長は言う。だから滅ぼすんだと。駄目な形で存続すると第二の琢磨がまた迷惑する。

モナコを最も速く走れ日本人であるはずの佐藤琢磨は、走ることのできないモナコのサーッキットに姿を現した。


update2008/05/26

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夜に蠢く

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自転車を使わないとまた視点が変わる。

意識しないで見ているが、写真になったものを見ると分る。でも意識しないで見ているものが、とても多いことに気づく。

写真展を見て、別の、写真展を思いだした。
並びの悪さを思う。写真を撮ることと、写真を展示することはだいぶ違うんだな。

頭の中でその写真の写真集を思いだした。繰ってみる。
ページネーションが巧くない。めくって見ていく写真集はまた別の文法をベースにしている。

他から見ているとぱっと分るものの、自分が撮ったという視点をもっただけで、見えなくなる、把握できなくなるものだ。自分の写真の方向とか、何の意識かなんて分らないもの。
光って綺麗なものだけに反応しているのかもしれないし。

最近、興味があるのは、人の悪意がどこまで悪意で、どこから無意識で、その無意識がどうして形成されたかということだ。昔は、悪意は自分の周りにあまりなかった。今はけっこう多くて、悪意同志がごつん、ごつんとぶつかって、その跳ねた欠片があたったりする。

そんなことを思いながら、延々、雨の夜を歩いていくと、闇の中に気持ちが沈んでいく。そして溶けていく。


update2008/05/25

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光が急に

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ベランダの光が急に夏の気配を帯びた。

僕は自転車という足を奪われたまま夏の日に立つ。浅草のあたりは祭りの余韻もなく、こうして時代が崩れていくことにも無頓着に明るい。立場がどうしたとか、あの人が私を貶めようとしているとか、毀誉褒貶、それは生きていることとイコールなんだろうけど、それは胃に炎症を作らされるだけで、前に、何も進まない。

ポジティブに考える、そのことが何かを生むのだ分らせてくれた本と行為があって、僕はふと立ち止まる。
計画をきちんと立てて、考えて、それで出きあがる伽藍の良さを改めて知る。

僕はそういう風にできないけれど、そしてそれが特色でないけれど
そう言い訳をしないでみるべきこと、やるべきこともまたあるだろう。

風をもう一つ吹かせたい。
風を浴びてもう一歩拡がりたい。

自転車!!

update2008/05/24