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ここで見えているものは

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記憶の中にまた埋められて

どこかでまた形あるものに宿るのだろうか。

田中泯が5日間、バスハウスで踊っている。朝から谷中や上野のあちこちに行って踊る。
この日は、両山堂という古いラベル印刷屋さんで踊った。

朝、6時くらいから僕は自転車を飛ばして上野櫻木から坂を下って、千駄木、湯島を徘徊した。
住所も余りはっきり分っていなかったので…。時間に間に合って大谷石の建物の前に着くと、泯さんがオウという顔で迎えてくれた。昨日、くじいた足が腫れていて痛々しい。でもまったく意に介さないといういつもの泯さんだ。

間で用事をいくつかすませ、夜のバスハウスへ。高橋悠治さんとのジョイント。
まずは今日、他で踊ってきた、場所の記憶を持ち込んでの踊り。リアルに両山堂で、「見ていた」感覚が甦った。身体が記憶しているんだな。でも時間帯が少しずつズレていてそれがとても刺激的だ。ここには悠治さんがいてプラス音を出しているのだから。

その後、悠治さんとだけジョイント。
二人とも形式が溶けていて、自由な感じ。でも普通の自由じゃない。悠治さんは即興なのに、不興な音が一つもない。なんだろう…無駄が一つもない。リズムに関しても。

考えたら音は出てこない。指揮者を見ていたら音は合わない。合ったところに指揮棒がくるんだろうか。合っていて、微妙にズレている。それが味だよね…とアフタートークでの悠治さん。
認知科学の話もしていて、把握しきれない。

老人が禅問答をしているような二人の話。
見ては駄目なんだろうな。見えているという状態にならないと。観客としては。
聞くんじゃなくて聞えている状態じゃないと演奏はできないよと言う、悠治さんの感覚は分る。

考えたり、構成したり、巧く演奏したりということをなくしたときに、演奏するというアドレナリンのようなものまで消えて、仙人になってしまっては駄目だが、そのぎりぎりのところで立つという感覚。その辺が達人の領域なんだろうな。仙人ではなく達人。

創造をしていない僕は、眺めているだけだけど、それは逆に何もないので、楽しい。


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update2008/07/07

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銀座の帰り

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僕はちょっと不機嫌だった。30分ほど。

銀座の画廊で久しぶりに嫌な感じ。でもそれは長いこと残さないようにしている。エスプレッソを飲んで忘れよう。

最近、撮影や、紙面作りでくっとレベルの高いところでのチューニングがあう経験をしているので、
銀座の某幻想系画廊のオープニングにはげんなりしてしまった。
画家たちが話しているのは、サザビーで顕著になっている日本の絵画買いに如何に乗るかということで、話しは終始しそのことだけだ。くだらない。何を描くかじゃないんだ。

次の夜想に登場する、YAB-YAMのパトリック・ライアンは、食べられれば、ちゃんとした仕事をするほうに集中したいと言っていた。ファッション雑誌の流行やマーケッティングに乗るのはほんとにつまらないことだ。今年の作品のテーマすら見てくれない。丈がどうだのこうだのということばかりと言っていた。

どうにか生きていきながら、夜想流の仕事を続けていければなぁとつくづく思う。
よし、苦いコーヒーを飲んで「嫌」は流したぞ。


update2008/07/06

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三田村光土里 Higure 17-15 CAS 3

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今日、本ができ上がるので、様子を見にヒグレに。

頑張れよ! 場所を維持するのは大変なのは分るよ。応援するからさ。

ヒコがマローブルーの水だしハーブティを入れてくれた。紫。
たしか、レモンとかの酸を入れると、ピンクになるはず。

三田村さんは、ほぼ2ヶ月、現地製作をしている。
ピースが問題じゃなくて、場所が私の作品。だから離れるのはちょっと辛い。搬出で泣いちゃうかもと、笑っていた。テープに書かれた三田村さんの文字が好き。テープの上のポエム。それもちょっと肩透かしが入っているような。素敵だ。

update2008/07/06

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長い空白

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おいおい素通りかい?

そうは言わなかったが、そう言わんがばかりに…でもにこにこ笑って
田中泯がバスハウスのテラスから「こんのさん!」

一昨日、アノマで田中泯さんの噂を聞いて、バスハウスで踊るよって、それだけ聞いていたいので、いつなのか、それも確かめがてら角を曲がったら、声をかけられた。

自転車を止めて立ち話。劇場での公演は止めたそうだ。なんかくだらないから…。そんなようなことを言っていた。分る気がする。不況なのにバブル。そんな中、設えの為に、舞台を作るのはストレスがいっぱいになるだろう。どの位の経費がかかる? ギャラは? そんな話しから始ることばかりだ。何を作りたい、何を踊りたい、どう踊りたい。そっちが先だろう。良い感じだ。泯さん。顔つきも精悍に戻っている。朝も谷中の初音小路の路上で踊ってきたらしい。

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「泯さんこれ上げる。」ちっちゃな女の子が黄色の花をさし出した。泯さん受け取って、ふらふらと揺らしていた。これからずっと踊るらしい。昔で言えば、路上ゲリラだな。

土方さん死んで22年。寺山さん死んで25年。PlanBで土方巽復活の会を田中泯が主宰した時、寺山修司は、体調不良を押して駆けつけた。ベッドのような椅子に寝て劇場の一番後ろで見ていた。1983年亡くなった年のことだ。昨日のようだね。泯さんと僕はしみじみ思いだしていた。それはまったくリアルな時間。その後が空白。

update2008/07/06

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白いスタジオ

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白いスタジオは、白い箱と白い床。

写真の話をする。
あきらめちゃいけない。資材がなくなっても。今ある機材をフルに使って、知恵も使って、それでベストを尽すのがクリエイティブということだと言われたと。そのことをいつも思いだすと。

ベストの状態は、ほとんどないといっても良い。それぞれの時代、それぞれの人で事情が異るから。雑誌でも同じこと。

夜想の撮影は、結果、くっと、なにかのピントがぴたっとあうことが多くなった。それは写真家が、被写体の何かにフィットして、映像として結実することに似ている。計算してもでないこと。何かのチューニングが合っている感じ。

写真に写っているものは、そこに存在したものの結果のように思えるが、でも写真にしなければ存在しなかったものだと思う。もっと言えば、写真の中にしか存在しないものなのだ。写真に写ったものが常にそうだということではない。そういう写真もあるということだ。

これは、一つのアンサンブルで、僕は、その時々に立ち位置を変える。微妙に誰にも気づかれないように。そんなことが少しだけできるようになった。ほんとに少しだけ。

update2008/07/03

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未知の領域

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もちろんだけれど未知の領域がたくさんあって

どうしてこんなに知らない感覚があって生きてこられたんだろうと思う。
それはたいしたことではないことが多い。料理のちょっとしたコツだったり、写真の見方だったりする。未知の感覚を新たに手に出来る。これは感謝しなくちゃならない。生きている甲斐というものだ。
情報が蔓延している中…それはマイナスのことばかりではなくて、その情報を知肉化している人がいて、ちょっとヒントをくれたりする。それでぱっと領域が拡がる。でもそれに甘えちゃぁいけない。それを聞かないで手に入れた人と、聞いて手に入れた人ではできあがるものが違うのだ。

聞いて抜けるというのは、一つの快感だ。だれかがゲームのラストを解いたと聞いただけで、すっと抜けられるあの感覚だ。もちろん最初に苦労して抜いた人が素晴らしいのであって、そこがどんなジャンルでもクリエイティブということなんだと思う。二番目は楽だ。しかしずるをして、楽をしていると、手に入らないものが出てくる。手に入らない感覚が出てくる。その怖さを情報化に慣れきっている人は分らない。自分もそこに紛れていく。

どうやったら人に認めてもらえるように、取り繕うことができるんですか? 教えてくださいとまで言われたことがある。完成形に出来るだけ早く簡単にたどり着く方法を教えてくださいと言われたことはだいぶあったけれど、今は、もっと酷いずるが横行している。ちょっと呆れてしまうと同時に、嫌だなぁと思った。そんな人間とは一緒に仕事をしたくない。抜けたいという気持ちと、だから要領良く、抜けた人にコツを聞きたいという気持ちは、同時に起きるけれど、実は相反するもので、それをしちゃぁ駄目なのだ。解説本を見ながらゲームして何が面白いのか?ということだ。

勝つならやるけど負けるならやらない。というなら博打は成立しない。結果が知ってから過程を見るスポーツニュースのようなものだ。


update2008/07/03

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とさや

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久しぶりに夜、とさや。

焼肉が美味しい。浅草はけっこう焼肉の激戦区で、以前は大亀に通っていた。

植島啓司の『賭ける魂』を読んでいる。大学教授で博打打ちって凄いな。如何にしたら儲かるかという姿勢から逸脱している。伊集院静や阿佐田哲也のようなアウトローを意識させる、雰囲気のある博打打ちではない。姿がということではない。書いている内容がだ。

数学や確率を使いながら、それでも…。という博打だ。破滅したいという願望をどこかに孕んでいて、なかなかカッコ良い。伊集院静や阿佐田哲也が文学を囲い込んでいるのと異って、姿勢だけが存在している。こんな人がいるんだな…。

update2008/07/01