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山本直彰 Ⅲ  聖バルバラ 

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山本直彰。
どうして今まで知り合いじゃなかったのかと、不思議にも思うが、そんなこともあるから人生は面白い。実家の母親を見舞って、アトリエに電話を入れると、じゃぁ北鎌倉の駅前で待ち合わせるかと会うのに応じてくれた。カフカ100枚の展示が終わってちょっとした頃。
山本直彰と出会ったのはついこの間。ギャラリーで作品を見て、カフカを描いてもらえないかと頼んだのが始まり。アトリエは大和、今住んでいるのが北鎌倉。なんと自分の実家から直線距離なら500メートルといったところか。山があるから直線では行かれないんだけれど。
世代が近いだけじゃなくて、野球をやっていたりと、共通感覚がある。まぁそれは良いとして、カフカの絵を頼んで60号が10枚ほど出来上がったときに、アトリエに出かけて、何か親しみが会ったせいか、感想を言えといわれたときに、絵の完成の話をした。芸術家は、100%を目指して作るけれど、しばしば100%を越えてやりすぎちゃう。全力で描いて、ちょっと足りない位が素敵。中々難しい。暗に描きすぎじゃないの?と言ったことになる。

その時に、グリザイユのこととか話した。グリザイユは下絵で完成みたいなもの。下絵にも使う。大好きなのは、ファン・アイク『聖バルバラ』。山本直彰は、話をどう聞いたのか、それとは関係なくなのか、分からないけれど、さらに描くから待てといって、最初のカフカモチーフの絵の上に、黒と白の扉のようなものを描いて、そこからまた絵を描きはじめた。そして最終100枚にまで至った。

北鎌倉は相変らずローカルで駅前に、おしゃべりをするような店は侘助しかない。そこで会って、山本直彰は、また絵の話を始めた。好きなんだな。ほんとうに。でまた下絵とか、完成するしないの話に及んで、ふと顔を上げると正面の壁に、切り抜きが貼ってあった。何十年もそのままなんだろう、煙草の脂で変色した、ファン・アイクの『聖バルバラ』。ちょっと衝撃だった。何で!


update2015/05/20

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カフカ ノート。

カフカカフェ 2015/05/04

以前、高橋悠治さんの「カフカノート」の上映会+解説をしたいただいたとき、気になったのが、硬いパンの塊に父親が四苦八苦するシーン。

高橋悠治「カフカノート」
ノートⅡ 9(1920年)
テーブルの上に大きなパンの塊があった。父がナイフを持ってきて半分に切ろうとした。ナイフはじょうぶでよく切れるのに、パンはやわらかすぎずかたすぎずだがナイフが通らない。子どもたちはおどろいて父を見上げた。全身の力をかけてもパンは切れない。父は言った____「何をおどろいているんだ? ふしぎなのは、何かができないよりはできるほうじゃないのか。もう寝なさい、そのうちできるだろう」。

MODE特別公演(@パラボリカビス)「父への手紙」(カフカ)にも父親の食卓シーンが出てくる。
骨は噛み砕くものではない、しかしあたはがそれをやるのは構わなかった。料理の食べこぼしが床に落ちないように注意しなければならなかった。ところが、結局あなたの下にたくさん落ちていた……。

update2015/05/04

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蕎麦を嚼むようになった。

カフカフェ日常__2015/04/17

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蕎麦を嚼むようになった。
ガード下の立食い蕎麦屋で、蕎麦の話をしていたときに、「嚼んで食べてもらうように打っているんだから…」
と、言われて衝撃を受けた。蕎麦は、ずっとのど越しで、嚼まずに食べていた。
池ノ端藪がホームグランドだった。柳家小さんが、弟子に食べさせずに前に坐らせて美味しそうに、そして落語のままに食べていた。え、ほんとうに弟子に食べさせないんだと吃驚した。

蕎麦は嚼んで食べる用に作っていると言われ、大袈裟に言えば人生観を変えて、嚼むようになった。いきつけの蕎麦屋に片っ端から出かけて、もぐもぐと蕎麦を嚼んでいる。発見もある。蕎麦ってという驚きもある。今の蕎麦粉の出来合も流通経路も昔とは異なっている。蕎麦粉が日本でない蕎麦もある。

これは、こうだと、決めないで、自在になるというスタンスに変えた。だから文学のよみ方も。そうしたらカフカも違ったカフカとして僕の前に立っていた。楽しいかも。
そんな風に自分の変わりようを思う。

update2015/04/17

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お茶を売る人が参加できるお茶会は

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お茶を売る人が参加できるお茶会はないのかしら…。

えっ。そんな緊張して誰もお茶入れられないですよ。
でも、朝から入れ続けているとね。

毎日、お茶のことだけ考え続けて、朝一で飲んだお水の調子で、今日巧く入れられるお茶が何かと想ったりするような人に、入れられる人は、いないでしょう。いるとしたらパートナーかな。許せるし、分かってるし。

そんな話をしながら、入荷したばかりのお茶を、いただく。
私たちもまだ試飲していないからご相伴と。ご相伴はこちらです(^.^)
新入荷6種から香りで選んだら、みなタルボ農園だった。Black ThunderDJ-206 Clonal Wonder DJ-205 Shiny Dj-196。
どれも素敵だけど、一つ際立ったのが…。

そして9月7日のお茶会用に、Eden Vale農園 China Special Dj-1 をお迎え。 標高1500メートルにある美しい谷の、フルーティな茶葉。 農園の端をダージリン鉄道が走り抜ける…。

懐を開いてもてなす喫茶。試飲といえどもお客さんによってはとても疲れるとのこと。そんなことから人の話になり『境界性人格障害』の話をすると、岡田さんの本は読んでいるとのこと。時代の病なのかもしれない。


update2013/08/27

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エコール・ド・シモン人形展@紀伊国屋画廊 3月8日

エコール・ド・シモン人形展@紀伊国屋画廊 3月8日

作りかけのような、朽ちているような…グリザイユの様な肌。
四谷シモンの新作人形は、ベルメールの初期のような風があり、アウシュビッツに収容されていた人形を今、リペアしながら創作したような未来感もある。人形のこれからを提案しているような作である。

グリザイユ好きにとっては、たまらない膚をしている。肌理にぐっと来るのは、以前からだが、グリザイユにこれほど反応する業は、どこから来ているのだろう。グリザイユはモノクロームで描かれた混合技法などの絵画の下絵で、少し色がついていることもある。青木画廊に出入りしていて、ウィーン幻想派に出会って、混合技法を知って、川口起美雄と鎌倉でセミナーをして、そのワークショップで、ファン・アイクのグリザイユに絵の何たるかを見たからかも知れない。

夜想創刊号には、川口起美雄のグリザイユ的絵画が描き下ろされている。お願いして描いてもらったものだ。夜想・鉱物特集の展覧会にもグリザイユで描いてもらった。建石修志にも少年と鉱物をモノクロームでとお願いした。ずっとそんなものに惹かれ続けている。肌の肌理ぐあいが、一瞬にして心を惹くポイントなのだろう。

作品ができ上がる途中で、創作の神のようなものが、降りてくる瞬間があって、そこを通過して作品は完成されるのだが、その降りてきた瞬間を見たいがため、それを凍結させたいという気持があるのかもしれない。ただシモンの作品がもっているグリザイユ的な要素は少し異っていて、降りてきていると言うより、自ら開いているという感覚がある。シモンゆえに、シモンの作品は自らが神ということもある。シモンにおける降臨する神は、自らなのだから、自らが意志をもつ、その反映が反映される瞬間ということなのだろう。

update2012/03/10

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唐十郎からチェルフィッシュ

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唐十郎論 樋口良澄 唐十郎論―逆襲する言葉と肉体

著者から送られてきた『唐十郎論』を読みながら、
チェルフィッシュ的に言葉を位相させていく
としたら
どんなになるんだろうと

唐十郎の言葉は、今で言えばずいぶん
チェルフィッシュ的だ。
どんどんずれていく
本質からはずれるようにして。

そして最後にどかっと戻ってきたところが
ロマンの泉…

唐十郎と
宮沢賢治と中原中也の身体的言葉を
平行して読んでいる

唐十郎の引用した、中原中也は『骨』
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破って、しらじらと雨に洗はれ、
ヌツクと出た、骨の尖。

石原裕次郎が歌っている。
http://www.youtube.com/watch?v=QrmLZC0_2Uc
石原裕次郎の歌の中じゃかなりのぶるいだ。

唐十郎とチェルフィッシュ
圧倒的な身体速度でずれていく言葉が意味を壊して
謎をまき散らす感覚は
似てないか?

身体の身振りの意味と言葉を意識的に離反させて
分からなさを作り出す感覚
似ていないか?

分らなさを適当にまき散らすというのは
アングラからチェルフィッシュ的現代にまで
共通していないか
それは
不思議なフックになって
魅力になって
客の心をとらえる。

そういう構造をもっているのが
唐十郎とチェルフィッシュを()にして
挟んだ中にある演劇がもっている
一つの特徴。

その謎を客も評論家も追いかける。
謎が美しければ、遠ければ
魅力も増す。

土方巽、寺山修司、唐十郎、野田秀樹。


update2012/01/11

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畠山直哉展 Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ

 この風景——風景と呼ぶべきものかは分らないが——を前に畠山直哉がどう立っていたのか。
まずそのことを思う。

 写真を見て、畠山直哉の立ち位置を思うのは、今に始ったことではない。なぜか彼の写真に関しては、いつも被写体に向う畠山直哉の身体と頭脳と視線を思う。

 ブラスト・シリーズの時も、どこでどのように居たのか、もし可能なら正面に立ちたいのか。そんなことが気にかかった。それは中途半端な写真マニアが、印画紙は何ですかと聞くのとは違う。製作過程の秘密を知りたい訳ではない。この風景をどこから見たいのかは、畠山直哉のいつも気にする「写真の姿勢」であり、それが畠山の写真なのだ。

 陸前高田に立って畠山直哉がどう思ったのか、写真の立ち位置を畠山直哉がどう処理したのか。思いを馳せるだけでも気が重くなる。そしてその気が重くなることも一緒に引き受ける必要があるのが、3.11以降の、少しでも芸術に係わっている人間の営為だ。そう覚悟を決めていても、一挙に歳をとってしまいましたと言う彼の…言葉を聞くと胸は潰れる。

 3.11の前と後でアーティストの役割は変わりました。それまでは、先がけて見えない疑問を形にするのがアーティストの一つの役割だったのが、疑問が見える形で全員の前に姿を顕した以上、アーティストは今までの役割でないことを、もっともっと、あるいは新しく考えてする必要があると…レセプションでコメントした畠山直哉は、陸前高田の写真について、これからの自分について覚悟を決めたのだと思う。覚悟でなくて決意かもしれない。

 答えはもちろん、疑問をどうだすかということすら、おそらくまだ決まっていないだろう今の段階で、写真の前に立ち、写真についての言葉を受け答えすると言った彼の態度には本当に、日本人のこの人がいて良かったとすら思った。畠山直哉が語ると決意したのは、アーティストの責任感というものだと思う。彼にとってのアーティストの責任とは、陸前高田に駆けつけたときに、写真家であることをゼロにしなかった、写真家としても立ったということによるのだと思う。畠山直哉はそういうことに関して誰よりもストイックで、誰よりもロジカルで、そして誰よりも科学的である。写真のもつ科学性、光学性をクールに残している。畠山直哉はそういう写真家なのだ。

 畠山直哉の写真を見るとき、僕は、写真を見て、気持ちを少し離して、いろいろ考えて、また写真を見るという習慣をもっている。陸前高田の写真を見ると、じっと見て、思って、果てしもなく渾沌とした思いを巡らせ、混乱し、そして見る私が、再び写真に帰ってこれないのではないかとすら思う。

 3.11の後、まず思ったことは、この理解不能な出来事に対して、専門家であろうとなかろうと、そこに立ち向かうべきだ。これまでなら、原子力発電について語るのは、専門家であって、自分がアプローチするとしたら、それは自分の今の仕事によって、たとえば写真家だったら写真を通じて語るという姿勢が良いのだと思っていた。しかし専門家に任せるというということで、逃げ、見ないようにして回避したことで起きたこともある。素人でも精いっぱい見て、知って、考えて対応すべきだし、少々間違っていても、立ち向かうことを否定してはいけない。ということだ。だからプロフェッショナルということがある種機能しないのだと思った。もっと正確に言うと、プロフェッショナルな仕事が機能しないぐだぐだした国だったということだ。

 畠山直哉は、震災直後から写真を撮り、その写真を通じて考え続けてきた。震災後のアートからの大型の提示はこれが最初になるのではないだろうか。アーチストの役割は…と畠山は言ったが、彼は先がけて、ロジックを駆使して一つの態度を表明した。もうすでに震災後のアーチストの役割の可能性を示している。大切なことは、彼の行為を孤高のものにしてはならないことだ。畠山直哉の態度、立ち位置を見つめて、それぞれの行為をするということだ。

話す写真 見えないものに向かって

 


update2011/10/01