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季節外れになった桜

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季節外れになった桜の

おひがしで、二度目のお点前をいただこうとして時に
がたがたとガラス戸が鳴った。そうそう里春さんが亡くなられて…と訃報を聞かされた。

里春さんは元祇園甲部の組合長さん。少し前に国立劇場で祇園の「手打ち式」を見た。黒を引いた芸妓さんたちが柝を打ちながら入場するさまは、艶やかで凛としていた。ひと際背の高い里春さんが、柝を先導してそれはそれは姿の良い、粋なものでした。

里春さんは、井上流独特の、能がかりの踊りを得意としていた。井上流は機械的な振りと良く云われるが、その中に艶を出すのが上手なのだが、なかなか難しい。里春さんは、立役としてそれを舞っていたと思う。先代の井上八千代さんに次いで井上流では好きな踊り手だった。

昭和の初期には、里春、里千代姉妹は、連れ舞いで都踊りでも名を馳せた舞手だった。腰を悪くされて引退した里千代さんは、玉木という祇園の宿をおやりになっていた。歌舞伎を見始めた頃、玉木さんの宿を知り、たん義を知り、祇園の井上流を知り、そして京都に嵌りきっていたことがある。

造形大学の教科書『人が芸術家になるとき』ときのインタビューでも、現井上八千代さんとのお話で、僕は、里春さんに言及している。その位好きな舞手だった。

祇園ネイティブな人が減って、祇園も姿を変えきる寸前まできている。

update2008/04/25

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不揃いのチョコレート

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名古屋のSがエルメのチョコと紅茶を会場にとどけれくれた。

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Sは2002年京大西部講堂で行われた『ペヨトルファイナル』に名古屋から駆けつけてくれたボランティアスタッフだ。
何くれとなく応援してくれている。
エルメのチョコは箱の中に揃っていて、一つ一つは切りっぱなし風のランダム。
僕の最も弱いビジュアル。うー。
食べたらこれが美味しいので、も一つうー。
ありがとう。自分の中の「くる」部分は半分意識的に眠らせてあるので人に覚醒させられると
元気が湧く。

update2008/04/25

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REALTOKYOと

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インターパーソナル・スペースは30メートルか3センチか

R不動産のビルの一階には
イタメシ屋がある。深夜、外に立って、REALTOKYOのこととか、紙媒体のこととか
壊れている人間のことについて
いろいろ話をしていた。背の高い椅子に坐って、ちょうど話しやすい距離。イタリアの距離かな…なんて洒落ていると

時間大丈夫?
自転車で来ているから、まっすぐ走ったら、浅草橋、浅草。あっという間だもの。

ネットが盛んになって距離が上手にとれなくなっている気がする。
30メートルか3センチか。
相手のブログを見ていると、30メートルは3センチ。
そして3年会っていなくても、3センチの距離に突然、現れる。

相手のことは関係ない。
いいじゃないですか、私の気持ちなんだから…。3センチは…。
この厚顔な距離が
紙媒体を駄目にしているんじゃないのと僕は発言してみた。
紙との距離もとれなくなっているから、読み解けない、楽しめない。

どうしたら良いんだ?と途方に暮れる、二人の編集長。
その二人が近々提携して、いろいろな企画をする。
パラボリカ・ビスがまず会場になりそうだ。


update2008/04/24

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北野踊り 福鶴

勧進帳を踊る福鶴さん 至芸

まとめて上七軒『北野踊り』の映像を見る機会があった。
はじめて行ったのはいつのことだろうか、上村吉弥が南座鑑賞教室に出て、何年目というときだろうか。
吉弥に誘われて、関西の花柳流の若手の師匠も同席して見た記憶が在る。福鶴さんの踊りに感動した。

豪快で繊細。男踊りと言うのだろうか、立役の踊りが素晴らしい。惚れ惚れとするほどの男っぷり(失礼)

京都に行った時に時間があえば見に行っていたが、まとめて映像で拝見して改めて、うなってしまうほどの見事さ。(生を見たくてはいけないのですが、ほんとうに)

先代・井上八千代、吉村雄輝を失って、上方舞は、名実両方を兼ねた舞手を失っている。立役ではあるが、そして芸妓さんではあるが、今、福鶴さんの踊りには、見るべきものがある。

先代の井上八千代さんを追っかけしていたこともあり、玉木さん、たん義さんに京都を刷り込まれていたこともあって、僕は、ずっと祇園から京を見ていた。人に上からものを見て…と詰られたこともあったけれど、食べ尽すまではと、たん義や、玉木さんの宿にとまり、祇園の芸を見ていた。

食べ尽くすほど分ったわけではないが、もうそうしたことを崩して、自在になっても良いのだと思った。それは福鶴さんの舞いを見てのことだ。

update2008/04/20

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修理終了

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チェーンの全とっかえをして、2000円。

そうしたら今度は、ギヤが入らなくなった。
満身創痍だな。
自転車屋さんに行ったら(浅草の)
ギアのスプリングが堕ちてるよと言われた。しかたがないのでギヤごと交換。
今日ようやく、修理が終わった。

高いギアでもトラクションがかかるので
乗りやすい。

チューブとタイヤ、ブレーキ・ワイヤー、ギア、チェーンとこの数ヶ月で取り換えた。
今度は、フレームに亀裂とか…。

毎日、かなりの量、走っているからしょうがないよな…。
でももうちょっと頑張って欲しい。


update2008/04/19

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池之端 薮

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低気圧が重くのしかかる午后

雨は激しく降っていて、午后の開店の4時半にまだ少しあったので
喜屋によって顔料を見て時間合わせをした。
暖簾を出すのと同時に店に入って、ざるを頼むと、
どこで待っていたのか、ピッタリに店に向ってきたのかもう六、七人のお客が入っている。さすがに『薮』だな。

最近、蕎麦を食べるときの葱が気になっていて、晒しが甘いと、苦すぎて、蕎麦の味を分らなくしてしまう。
池之端の『薮』もどちらかと言えば、その部類だったのだが、いつのまにか細く切った、充分に晒した葱になっていて美しい。

ご機嫌になっていたら、隣席から「美味い」と密やかな声がする。
蕎麦苗を口にして、思わず声を出したらしい。

雨の午后はたおやかに流れる。


update2008/04/19

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信頼できる仲間

僕に歌舞伎を教えてくれた、竹柴源一さんがまた新たな挑戦をしていて演劇グラフで

大衆演劇と歌舞伎とのジョイントを提案している。
しかも相互に技術を交流しながらのことだ。

竹柴源一さんは柝の会を立ちあげて、歌舞伎の普及や小芝居の復活に身体をはってきた
歌舞伎の狂言作者さんだ。

その竹芝さんが座長さんとの対談で、
集団活動ができないんですね……最近の子たちは。と、嘆いていた。
集団活動ができないと芝居はできない。特に歌舞伎とか、大衆演劇とかは間合いでやる演劇だから。

確かに集団作業は上手じゃない。
組織の中で、あるいはディレクターのいるなかで、作業するとき
その中に「信頼できる仲間」と呼び合う集団を作って
細かくグループ化して差別化することがよくある。

誰かが「信頼できる仲間」には、心を開くけど……みたいなことを
言うとき、
僕はちょっとげんなりする。
それは必ず集団を中から崩壊させる力学になるからだ。

個人でやれることもないのに
どうして自分がある種の道具として使える、そしてそこに居て、自らのアイデンティティを発揮できそうなところなのに、
その宿主を破壊するように動くのだろう。

癌細胞も大きな組織が育ってくると
他の小さな組織はなりを潜める。それは宿主を殺せば自分たちも生きていけないからだ。
大きな組織が切り取られると、周辺の癌細胞は活発化して、再発ということになる。

空気を少しは共有しないと集団というのは成り立っていかない。
維持するためにとか保守的な意味でなく、クリエイティブをするために複数人が組み合わされたとき、そこでは目的、やりたいことを共有するという共同性が必要だ。

追っかけをするとき、それは抜け駆けをしないという不文律を作る。でも抜け駆ける。自分だけが特殊な立場になりたいからだ。
コスプレはキャラを共有したり、棲み分けたりする。けっこう。それは相手がキャラクターで人間ではないからだろう。

嫉妬ということを含めて、人は修羅に生きている。

update2008/04/17