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十字架道行の留

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十字架を背負ったキリストが休んだ場所。STATIO。


安心することはないかもしれないが、憩う場所があれば、一瞬、心が留まるところがあれば。
血を吸われた、吸血鬼キャリアの子たちは、柩のなかで不安と期待に苛まれる夜を送っている。
留があるとしたらそれは蓋をされた柩の中かもしれない。

柩の蓋を作った。技術は僕のものではないが、テクスチャーには感覚が反映されている。
思っても見なかった、ディテールの嗜好が顕になっているので、少し驚いた。手の癖も、欠陥も浮き出ている。鑞は、不思議な素材だ。

マスキングテープを忍ばせたが、巧くよじれて表面に浮き出ている。

update2008/04/08

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こりゃ、こりゃ駄目だ

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チェーンが切れて放置してあった自転車は

雨に濡れていた。浅草橋から自転車を引きずって、最も近いと思われる宇田川自転車へ。
おじいさんとおじいさんが出てきて
場所を取っ換え、引っ換え、チェーンを覗き込んでいる。見えない、懐中電灯で照らそう。そっちからじゃ駄目だから、こっちへ。
会話を聞いていると親子だということに気づいた。

これは平たいチェーンだから、ジョイントじゃ駄目なんだよ…。
ああ、そうですか。
あなたはここに坐って見ていてください。と、パイプ椅子を薦められた。

こりゃ、こりゃーぁ、駄目だ。仮につけておくから、うーん、2日もつかな。
じゃ、2000円。
え?

力をかけないようにそーっとパラボリカ・ビスまで戻ってきた。
チェーンを取り換えるのか…。ビスでいっぱいいっぱいなので自転車までは手がまわらない。

修理してもう1年、乗りこなそう。

update2008/04/08

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肩にのる実在は

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肩の上にずっと黒い塊があって 重みの実在として

ずっと夢を支配していた。 それは黒い猫で、夢から覚めてそこに何も居ないことに気づいた時
飼っていた猫であることに気づく。

その黒猫は、肩の上で寝たこともなく仮想の夢は、それでも肩の上に仮想の実在を残している。

がりがりと鉛筆を咬む癖の猫は僕の鉛筆に噛み跡を残しているけれど
ほんとうに僕の側に実在しているのだろうか

死に立ち合えることのできなかった猫たちは、今、僕の側にほんとうに居ないのだろうか。

死に乗り遅れていく経験が堆積しているときに 不在の猫の重みは
よしよしと自分を慰めてくれる何かと、いつまでもそんなことしていると、全部を失っちゃうよという警告にも思える。

肩の実在は、意外と消えないままに棲みついてしまうのかもしれない。

update2008/04/07

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東京ウォーキングマップ

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ふとテレビをつけたら東京ウォーキング・マップ。浅草橋。

放送日を連絡してくれるとTV会社の人は言っていたのに…。
星川さんが浅草橋を歩く。市丸さんのルーサイト・ギャラリーから、パラボリカ・ビス。そして浅草橋名物のロシアンティ。

ロシアのものならなんでもそろう。軍服まで。というか軍服が得意か…。
マトリョーシカがある、ある、ある、ある。

レーニンからヒットラーが出てくるなんていうのもある。

星川さんは最後にモンゴル料理店を見つけてごきげんだった。

僕はと言えば、浅草橋のビスのセッティングを抜けて、銀座に向けて自転車を走らす。展覧会を一つ見て、カフェで、思索。
でてしばらくして自転車のチェーンを切った。

もう四半世紀のっているからなぁ…。そろそろ限界かしら。

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update2008/04/06

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会場に贈られた花は会期が終わると鑞に封じられる

花を芯にした蝋燭は、めらめらと炎を上げて燃える。
恋月姫ドールを1ヶ月照らすために。

update2008/04/06

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屋根裏

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屋根裏のような中二階。階段下の狭い空間に

いつも坐るのが『アンジェラス』(浅草)

もう30年もここに居るのだろうか。
何をしているのか何も知らずに、店のひとは歓待してくれる。自転車に乗ってくるひと。そんな感じだ。

マスキングテープのことを考えたり、江戸川乱歩を読んだり…。それは今日、昨日のこと。
写真家をめざして墨田界隈を巡って、ようやく浅草にたどりつき、一週間に一回、ここにいたのが30年前。

update2008/04/06

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石井みどり

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今日は、石井みどりさんのお別れの会だった。

お葬式とかにまったく出ないわけではないのだけれど
黒い服が気に入らなくて、隅田川沿いの桜の樹下で独り御悔みをした。

94歳で亡くなられたが最後まで現役というのはダンサーらしい。
石井漠の相手役として抜擢。というキャリア自体が今の人には理解できないかもしれない。
暗黒舞踏の源流にあたる人。
例えば今も活躍している暗黒舞踏の石井満隆さんのキャリアは、『ダンスを石井漠のもとで始め、1961年の≪土方巽DANCE EXPERIENCEの会≫に参加して、暗黒舞踏を始めた。』という感じで、名前の石井を石井漠さんからもらっているのだと思う。
石井みどりさんも本名は折田ハナさん。石井みどりさんはヴァイオリニストの折田泉さんと結婚、独立して舞踊団を率いた。戦争中は前線にまで慰問に出かけ、戦後も56年から7年間、1万回以上の慰問公演を行った。

慰問の話しは良く、みどり先生から伺っていた。明日、敵陣に総攻撃(負けるのを覚悟の)をかける兵隊さんの前で踊った話しをよくされていた。

華のあるスターで、アサヒグラフなどのグラビアを飾ったりもしていた。川端康成からラブレターをもらったという噂があって、その話しを打ち上げなどでもちかけると、顔を真っ赤にされていたのが、今でも心に残っている。

優れた踊り手の業績が、あっという間に忘れ去られるのは、悲しい昨今の現実で、中村歌右衛門さんも、歌舞伎的に何かもっとあっても良いのではないかと思うが……たとえば昔のフィルムを歌舞伎座でかけて、追悼でいろいろするとか……。ぜひ石井みどりさんも何か後世に具体的に伝えられるものを催して欲しいと願う。

昨日は、風が強く、嵐のような日だったが、嵐君は世の中のいろいろとまったく関係がない風にのんびりとやんちゃに、ますます女の子らしくなく育っている。

update2008/04/03