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復活夜想はゴスからはじまったけれど2

再び始ったのは、丸井館の前を歩いていた

たぶんロリータさんたちの集団…。
たぶん、というのはその時は、ゴスもロリも分けも分からなかったから

不思議な光景に惹かれてついていったそこには世界が拡がっていた。
ちょうと90年代から
自分が少し空白になっていた時代の
でも本当は空白でもなんでもない
そこを生きていた空気が伝わってきた。

ああ
これなら夜想を復活できるかも…。
ただ本能的にそう思った。

ゴス、ドール、耽美…と毎年1冊ずつ夜想を作って
復活してからあっという間の5年になろうとしている。
いろいろ彷徨って
今、夜想復活の原点、
ロリータ服の展覧会にたどりついた。
一瞬の思考感覚を実証していたらこんなにかかってしまった、という感じがする。

展覧会はそうした僕の復活原点にあって
男の自分がどう生きてきて、どういろいろなものに係わってきたかという
そんなことを鏡にうつして恥ずかしがったりする
時間帯でもある。

係の人に声をかけていただければ
男子でも
服に触れることが許される展覧会なので
ぜひぜひ
いろいろな方に、夜想復活の原点、そしてその向こうにある何かを見ていただきたいと思う。

この展覧会は
夜想にとっては質問100%、答え0%の展示なので
見て体験していただけると
嬉しいな…と思います。


update2009/05/01

column

ベイビイ+澤田知子展

ロリータは、知性と品性。

スパッと言われて、抜けていく感覚があった。
80年代の後半からずっと考えていた、澁澤龍彦の少女像について。
答えではないが、何かが。
ロリコンの対象でありえないロリータ。
そんな分かり切ったことがまだまだ誤解されている。

ゴスとロリータ。相反するものがゴスロリというカテゴリーになる。
最大の混乱は澁澤龍彦と矢川澄子の婚姻かもしれない。
もちろん必然の混乱という面はある。
乙女と非乙女。

BABY, THE STARS SHINE BRIGHTは、ロリータ。
ゴスロリではない。

BABY, THE STARS SHINE BRIGHTの服を着た
澤田知子の写真が15点、2階の2室を埋める。
海外ではゴスロリの服を…と紹介された。
細かいカテゴリーの差ではなく、なぜ、混淆して提示されるのかという
そこに00年代のいろいろがある。

その00年代のイメージの混淆の
混淆されていない原型が見れる。
面白いですよ。


update2009/04/30

column

あがた森魚

マンダラ2に赴くのは

ボリスビアンのフリージャズ芝居を上演したとき以来かな…。それとも新大久保ジェントルメンの録音だっけ?

あがた森魚さんはゲスト。三曲しか唄わなかったけれど、ぐっときた。
声が不思議だ。
あがたさんの声のことを思ったことはなかったが—、しまった! という不覚感が頭をスラッシュした。でもこれからたくさん聞けばいいや。
『大桟橋』…。どのアルバムに入っているのかなぁ、入っていないのかなぁ。

声がストレートで澄んでいるのに、旋律のすぐ脇をすり抜けている。
でも一緒。還暦コンサートと言っているのに、ツヤツヤの澄感。

デビュー曲をこんなに新鮮に唄えるなんて。
ギリヤーク尼崎の白鳥の湖だ。

心打たれて井の頭公園のほうへふらふらと。

update2009/03/08

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『目羅博士の不思議な犯罪』 江戸川乱歩

月光浴という作品を

踊りに書きおろしたことがあって
大谷石の採石場で上演予定だった。

100メートルの高さのある露天の採石場を
地下に入って下から見上げれば
逆さに掘った塔のようで
露天と言っても平たく切りだしたわけでもなく
山の頂上をスパッと切ってそこから掘り出した山そのものが空洞になった代物。
グランドレベルも超えて掘り進んだ採石場は
巨大な空間を保持していた。
そのセンターに仮設の舞台を敷いて
天井に穿たれた穴から
月光が刺す時を合図に踊りを始めようと…
ダンサーはベジャールに招聘された泉克志。
黄金の髪をもつ占い師に名を変えられて運命を変え夭死した泉を私は昔の名で呼びたい。
もう一人、泉と共演した前衛劇団の美貌の肉体派俳優は
同じく名を変えられ声を失った。
今はかなうはずもないその舞台を思いたったのは
中井英夫の江戸川乱歩解説の中にあった
月光浴について。解説を微妙に逸脱して、内田百閒が月光浴について書いたともろもろ綴っていた。
今だ内田百閒のどこからも月光浴は顕れていない。知っている人はぜひ、教えて欲しいものだがが、中井英夫の書いた解説は『目羅博士の不思議な犯罪』だが、その時は『目羅博士』だった。雑誌に発表されていた時は『目羅博士の不思議な犯罪』で全集に収録するときに乱歩は短くして『目羅博士』Ⅱ変えている。中井英夫は乱歩の、逡巡の跡が見える文章をこよなく愛していた。
タイトルにしても同じで『目羅博士』ではなく『目羅博士の不思議な犯罪』をと亡き乱歩に呼びかけていた。

「月といえば、鏡に縁がありますね。水月という言葉や、『月が鏡となればよい』という文句ができてきたのは、月と鏡と、どこか、共通点がある証拠ですよ。ごらんなさい、この景色を」
不忍の池で月を見ながら敷かれた布石にまんまとのっかり、丸の内で月光の輝く夜にだけ起きる連続自殺事件に巻き込まれていく。

乱歩の中でも秀逸な作品。
金曜日になると首を吊って自殺する人が続出するビルに乗り込んだ医学生が、同じく自殺にまで誘導されるエーベルスの『蜘蛛』を下に敷いている。エーベルスの『蜘蛛』(怪奇小説傑作集5に収録)も名作で一人称で書かれて、理由付なしの怪奇を描いている。良い作品のポーに筆致が似ているだろうか。それより気になるのは、『目羅博士の不思議な犯罪』を読みながら三島由紀夫の近代能楽集が頭に浮かんだのは偶然なのだろうか。


update2009/02/16

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深夜の浅草、4時を過ぎた頃が

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自転車を走らせるのに

もっとも快感がある時間帯。

浅草寺の大提灯も消えて
仲見世の向こうには闇。
闇には惹く力がある。

気をつけなくてはならないのは
青い塵収集車が連なって暴走していること。
同じ気分なのかもしれない。
角から急に曲がってくる。しかも2台、3台と。
仲見世を疾走する塵収集車。

何故か『帝都物語』を思いだす。


update2009/02/04

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時々、扉が開くことがあって

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夜想の休刊中に
新宿丸井前でゴスロリの娘たちを見かけたのが復刊のはじまりだった。

扉は真っすぐ向こうが見えるように開くわけではないけれど
そこからはじまることは
自分でも予想がつかないことがあって
楽しい。

清水真理さんの展覧会も
もしかしてそんなことになるかもしれない。
清水さんはたくさんのアーティストを連れてきてくれて
一緒に展覧会をしている。
元グラン・ギニョールの常川博行さんもその一人。

状況劇場にいて、グランギニョールに参加して
今は、怪奇朗読者として活躍している。
中井英夫さんの作品を朗読している。

蜷川幸雄演出・唐十郎原作『下谷万年町物語』で、少年役で出ていたということを今回初めて知って吃驚。唐十郎がアンダーグランドからメジャーに上がるのかと、話題騒然だった作品で、吉岡実の詩にもインスパイアーされていて、何より少年が素敵だった。
この頃、寺山修司も、野田秀樹も学生服の少年を舞台に登場させていて、それぞれにイメージが異っていたが、常川博行の演じる少年はず抜けて、耽美な少年性をもっていた。
bisでは『地下の国のアリス』の朗読劇を上演した。

役者としてのテクニックと好奇心の原点の初々しさを失わない
絶妙のバランスで成立している。
そもそも『地下の国のアリス』が舟の上でアリスに語った物語
そのままに文字にした最初のバージョンだから
まさにキャロルの様々な好奇心と危うさに満ちている。

アリスたちが開けてくれた扉は
どんな世界を見せてくれるのか…。
楽しみな09年が幕をあけた。


update2009/02/02

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造本解剖図鑑 ミルキィ・イソベ

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アップルストアで

ミルキィさんが『造本解剖図鑑』のレクチャーショウ。

紙に特化したレクチャー。
紙はこんな風に裂けるんです、と縦目、横目の解説。

僕も
ちょっと間違えて理解していたことがあって吃驚。

机の上で終わってしまう、かのように思えるDTPが
実はそうじゃなく、そこから本という身体へのアートディレクションが始める。
紙とか造本とか…。
もっと厳密に言うと、机の上のDTPにすでに紙や造本の思想が組み込まれているというのが
ミルキィさんのデザインだ。

指から始る。
手から始る。
ミルキィさんの真骨頂が伺われたレクチャーだった。

update2009/01/28