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2004/09/14

土井典さん

男はおちんちんが付いているからねー。
付いてなきゃいいんだけどさ。
人形作家の土井典さん。

夜想の最後のインタビュー
これでフィニッシュ!!

でぶちゃん人形の型をもらっちゃった。
うれし。

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2004/09/13

恋月姫さん

夜想に向けて作られた新作人形が
京都・三条のART ZOONの
『月の神殿』で公開される。(12月1日~25日)

展覧会にあわせて
夜想特装本/恋月姫人形付きも発売予定。

打ち合わせを深夜までした。
恋月姫さんのお家の猫は
シャイで
なかなか姿が見えない。

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2004/09/12

吉村弘

2004年09月10日
MMACの吉村弘追悼コンサート
煙突から横にたなびきながら
少しずつのぼっていく
映像に
吉村弘の音が静かに舞っている

池袋西武のアールヴィアンに
つとめていた芦川 聡が吉村弘のために
サウンド・プロセスを設立して
リリースした波の記譜法1
ずっと大切にしていた

手の込んだコンセプチャルないまの環境音楽と違って
愛するものが
そこかしらに何気なく点在する
素朴なそれでいてリリカルな
吉村弘の音楽はいまとても新鮮だ

秋ではないのに
葉っぱがフワリと舞い落ちてきた
(吉村弘 夏の木立)

葉っぱは音をたてかなったけれど
舞い落ちる音に
今は地上にいない芦川 聡と吉村弘を思いだした
音は生きてまだ地上にいる
どうしてリリカルな人から消えていくのだろう。

9月12日
ボクは上海のアーティストと
胎児の屍体の話をした。

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このリストは、次のエントリーを参照しています: 吉村弘:

» 吉村弘*オマージュ展 from ヘンかわおいしいお役立ち◎ARTLABOVAのブログ
10月20日が誕生日で、22日が命日なのか…オーバを利用している人の母が、吉村さんの弟子?だったので、教えてもらって、わざわざ奥様から、DMまで送っていただいた... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2004年10月22日 03:35

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2004/09/11

かもしれない

藝祭で楳図かずおさんと
闇の力についての対談。

控室の食堂で
楳図さんはとつぜん
「エリーゼのために」を弾きはじめた

予定通りスタート。教室はほぼ満員。
ぐわっし!
会場に入ると
楳図さんは
全開状態で突っ走る

楽しいな。

芸大の三木成夫さんの話をした。
夜想5号の時にお話しをお願いした
解剖学の先生
怒られてホルマリン漬けの瓶から
胎児を出して
手に乗せられた時のことなどいろいろと……。

「胎児の世界」は夢野久作の「ドグラマグラ」を
解剖学で描いている

改めて読むと
楳図かずおの「14歳」も
「ドグラマグラ」のような謎と示唆を含んでいる。

ボクは余り気にせずむずかしいことを
いろいろしゃべったけれど
観客に理解してもらえなかったかもしれない

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2004/09/10

14歳ー楳図かずお

今日も雨が降っている。

少女というのは
何歳までをいうのだろう
人形の特集をしながら
ずっとそのことを考えている

楳図かずおの『14歳』
頭脳の眠っていた部分が覚醒する
夢の中で
深層のなかの水脈にあたるように

生きることは
感覚で良いのだ
そう思う。

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2004/09/10

百物語——松岡正剛

百物語の百話目に何かが起きる。
それと同じで松岡正剛の千夜千冊
松岡正剛の千夜千冊その千一冊目に
何かが起きたというのは
因縁めいていて
21世紀になっても
こんなことが起きるのだと改めて驚く。

物語りは終わることを拒否するのだ。
だから終わらそうとするとき
何かの力が働く

松岡正剛は、千夜千一冊の途中で癌の手術で入院した
しかし9月3日、無事に手術を終えたようだ。
胃の3分の2を切除しましたが、術中の検査によって、がんの進行度は完全に早期段階であったこともわかり、リンパ節などへの転移もなく、最良の結果となりました。
と、hpに書かれている。

復帰して物語りを書き続けて欲しい。
千夜千冊は本の書評というより
松岡正剛の物語りである要素が大きい。
松岡流に言えば
本という
物—を—語っているのだ。

松岡正剛は雑誌『遊』の人だが
いま、ブログのような形式を得て
もっとも生き生きとしている。

松岡正剛は本のエンサイクロペディアを様々な方法や
メディアで実現してきたが
プログ的なネット上でクロスする感じが
ぴったりしている。

24字で流れている文体も
今までになく洒脱で軽快だ。
読んでいて生な松岡正剛の声がするし
文章としても美しい。

そして背後に松岡正剛は何万冊もの実際の本を
本棚に収めている。
ネット上のリアルと背後に所有している本のリアリティ……。
この階層が
どこか琴線に触れ、想像力を刺激する。

復帰してぜひ
ネット上のツリーの可能性をこれからも
粋にそしてパワフルに
進めていって欲しいと思う。
雑誌『遊』はここに最終形態を得て
最高の輝きをもっている

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2004/09/09

東京芸術大学ーー芸祭

明後日出演する芸祭のメンバーに
データをとどけに夜、上野公園を横切ると
かすかに蚊遣りの匂いがした
路上生活者のテントから漏れているのだろうか

通路に向かって
テントの入口に箱の祭壇が置いてあって
その上に二頭のぬいぐるみが並んでいた。

妄想が走りそうだった。
対談に備えて
毎日
楳図かずおの漫画を読んでいるから。

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2004/09/08

吉田屋料理店

ペニスの指輪は
ペヨトル・ファイナルの京大西部講堂の日に
吉田屋料理店の吉田さんにいただいた。

あれからずっとボクのお守りになっている。
雨が降るとなぜか
吉田屋料理店の黒塀にかかる
雨の軌跡をおもいだす。

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2004/09/07

人形の夜に思うことは

机のわきには人形のデッサンがはってある。
人形に出会ったときのリアルな感覚をいつでも思いだせるようにしている。
夜想リターンズ展や人形の撮影を手伝ってくれた日大芸術学部の児玉君のデッサンだ。

写真では伝わらないなにかが
そこにはある。
デッサンを見るたびに人形を抱いたときの感覚が蘇る。

人形のデッサンはいつも
夜で
夢を見ている

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2004/09/06

幻想の夜が

森島章人さんから夜想の原稿が入稿した。
カードのような手紙に種村季弘が今日亡くなられたと。
不覚にも知らなかった。8月29日。

夜想2号「ベルメール」特集の時に原稿をお願いしたが
かなえられなかった。
しかし自宅兼編集部にお越しいただいて
2時間以上もベルメールについてお話ししてくださった。

澁澤龍彦さんにも原稿は書いていただけなかったが
種村季弘さんも夜想には無縁だった。
若桑みどりさんは書くけれど澁澤さんや種村さんは書かない。
幻想文学には書くけれど夜想には書かない。
それは夜想がそういう雑誌だったからだ。
今はもうそんな差異も分からなくなってしまった。

24年ぶりに人形の特集を組むので
種村季弘さんにまた原稿をお願いしに行った。
新しいyasoは、幻想文学もトレヴィルの領域も範囲になっているからだ。
しかし体調が悪いとのことでまた原稿はいただけなかった。

澁澤龍彦さんも種村季弘さんも書くということで
夜想でご一緒できなかったが
私自身は、その著作で育ってきている。
ぼろぼろになるまでお二人の本を読んだからこそ夜想が生まれたのだ。

幻想というジャンルを夜想は歩んできた。
世紀末に向けて
闇の昏さを雑誌にしてきた。
で、世紀末に到達したとき幻想の夜は
いかにも白々としていた。
夜は……。
嘆いてみても時代は四半世紀を逆戻りし
それこそまさに世紀末の夜であると思われる。

合掌。

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2004/09/05

ウエブログ

miura.jpg三浦さんから譲ってもらったスタルクの魔法瓶
白か黒かかなり迷ったけれど

届けてもらったときに
三浦明彦さんといろいろ話をした。

マジックを放棄した時期が
ほぼ一緒だったのに驚いた。
あれだけのめり込んでいた三浦さんなのに
飽和になるのは同時なのか?
良く分からないことがたくさんある

あれからのめり込まないようにしていると
それも同じだ。
それからずっと空白の時代があった

三浦さんと話をしていて
突如、ウエブログをやりたくなった。
いつもはじまりは突然おとずれる
メディアをはじめるときはいつも本能だし
瞬間のことだ。
夜想の復刊も勘ではじめた。

ウエブログは三浦明彦さんに管理してもらっている。
何も分からないボクは夜中にメールをして
三浦さんを悩ませているけど
三浦さんは親切に丁寧に
いろいろ教えてくれている。

Macをはじめたころの感覚が蘇る。
ドラクエの初期の頃もそうだった。
どんな夜中に質問しても
誰も嫌がらない。
ほんとはいろいろあるんだろうけど
嫌な素振りを見せない

自分もそうだった。
真夜中に突然起こされて新しいゲームを見に行こうと
連れ出されたことは
一度や二度じゃない。
あの時の連帯は今も生きている。

アートもゲームもメディアも
創成期はそんなメンバーが生き生きと動いていた。

メディアは多様化していて
ボクはi-podにPADにデジカメにPowerBookをもちあるいている。
ここから何かを発してはじめてメディアなのだが
なかなか発信はむずかしい。

以前は
カセットブックだの
ビデオブックだの
DTPだの
メディアが新しくなるとは新しいコンテンツを作り出していた。

それは、そこに人がいたからなのだ。
ソフトにかかわることに労力をいとまない
人たちの熱があったからなのだ。
メディアと付きあっていくには動機がいる
どこかでディレクターや受け止める人の反応が必要なのだ。
情けないといえば情けないが
しかたがない。

しかしこのウエブログかなり
メディアとして可能性をもっているような気がする。
人が生き生きとかかわれる感じがする。

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2004/09/04

美しすぎる

朝の5時に最後のセッティングに入った。
恋月姫さんの人形が入水する。
声にならないスタッフのどよめきが地下室に拡がった。

オフェーリア……。
オフェーリアも嫉妬する美しさ

死んでいるとも生きているとも分からない
識閾に
人形は漂っている

撮影はそれから2時間も続いた。

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2004/09/02

撮影がはじまった

砂に埋もれた人形のパーツが
月の光を浴びて
生気をもっていく
こに立って人形を見ていると
時間が身体から消えていく
何十年もいるのか
一瞬のことなのか
自分自身が月の伽藍になって
化石になっているのか
もう何も分からない

人形は眠っていた
いま、ゆっくりと目をあける

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2004/09/02

やっばり猫街

谷中は猫が多い。
住んでいる人に愛されているので誰もおっとりしている。

谷中の猫に会いたければ
日暮れ時の夕焼けだんだんの上の駐車場にいくと
ほんとうにたくさんの猫に会うことができる。

夜に谷中を
歩いていると闇の中にきらきら光る目が見える。

気がついたら
電信柱に猫町の表示。
ちょっとびっくりした。
時間があるときに猫町美術館
行ってみよう。

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2004/09/01

月の表面

今日は、月のテクスチャーを作る。前回の、HIGUREの夜想リターンズ展の時もそうだけれど、日大芸術学学部の学生さん達が手伝いに来てくれている。前回よりもたくましくなっている。撮影用のテクスチャーを作ってくれている。大活躍!!
上の階では竹田君がインスタレーションの準備をしている。
G3のPowerBookからジャニス・ジョップリンが流れている。
うっ。ブルースに生きながら葬られてをかけられるとまずいなぁ。泣いちゃうから。I-tuneを覗いたらベスト盤なので入っていなかった。よしよし。
高校三年生の時、福田一郎のパックインミュージックが世界のロック界と僕たちの窓口だった。
図書館のタイムにジャニスが死んだという記事を見て、ホント!?とショックを受けて福田一郎に葉書を書いた。
タイムで死亡記事を読みました。信じられません。追悼に曲をかけてくださいと。
それが生まれてはじめた読まれたリクエストカードだった。
『パール』という遺作のレコードは、予約してあっても田舎にはなかなか入荷しなかった。
毎日、レコード屋さん確かめににかよった。
手にして聞いたとき、最後の曲はカラオケだった。ジャニスは録音する前に死んでしまったのだ。
生きながらブルースに葬られて……。
i-podに入れられたジャニスは、ちょっと哀しい。だからボクのi-podにジャニスは入っていない。
セッティングをしながらボクは、ちょっとうつむいてしまった。
授業をさぼって「ウッドストック」見に行って、ヘリコプターから降りるほんの一瞬のジャニスの姿に感動したことを秘かに思いだしていた。次の日からボクは、黒いスリムのジーンズと Tシャツを着て学校にかようようになった。
その時にはいていたロードナンナーは廃番になり、しばらく履き古しを廻していたがそれも限界になり、今年、リーバイスのレディスのスリムを買った。
ストレッチが入っていて少し楽なそのスリムは、何か今のボクのスタンスを表しているようで、ちょっと恥ずかしくもある。

コメント(1)

ぉぉいぃkl

ぴ\\\\| : 2005年08月13日 14:49

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2004/08/31

撮影の背景に

恋月姫さんの人形撮影の背景用に
テクスチャーを作った。
月の柩になカプセルの準備もできたし、
明日からの撮影が楽しみだなぁ。
青山ブックセンターの再生が進み始めたようだ。
六本木店、本店が9月29日に開店する。
パラボリカは本を納品することにした。
頑張れ!! 青山ブックセンター。
もちろん私たちも頑張らないと駄目だ。
夜想復刊2号、ドールは10月15日発売予定。

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2004/08/30

祭りのあとに

今日は、一日、HIGUREで撮影の準備をしていた。谷中のあたりは、ちょうどお祭りで、HIGUREの小沢さんは、神輿を迎えて柝を打ったり、先棒を担いだりと男前な一日を過ごしていた。ここは諏訪神社の氏子になる。
鯔背な若い衆や職人さんたち、キュートなお嬢さんたちでいっぱいだった諏訪神社には、今日は人影もない。台風も来ているし、無理もないけど……。

ブログは、hpにもましても現在形、しかかりという感じがする。
この感じはぴったりくるところがある。ドキュメントをなりわいとしてきたからだ。

i-podがメディアの枠を崩していくようにブログも何かを変えるかもしれない。

人形の世界も大きく変わっている。
昔の感覚で行くと完成していない状態で人形になる。

頭と感覚が再び、新しい感覚に変化するのを感じる。
また時代が動くんだろうな……。

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2004/08/29

こんな話からはじまる

夜想の復刊第二号の特集は「ドール」

取材に行ったとき四谷シモンさんは
「どーしてこんなに人形を作る女性が多くなったんだろうね?」
と、話していました。
「うーん。たぶん、彼女たちがマリアだからなんじゃないでしょうか?」
とボクは答えましたが、
そんな言葉ではすまないくらい切実な気持ちがあって
人形を作っている女性の作家がたくさんいます。

それは澁澤達彦さんが土井典さんにベルメールの人形を複製させそれを意気揚々と書斎に飾っていることや
「手に入れたかった女の人が手に入ると次が欲しくなったりするからね」と200本安打を打ったイチローが女の人をモノあつかいする発言をして、まかり通ってしまうことと
どこかで関係しています。

再び現場に立って取材していると
いろいろなことがらに出会います。
そうした体験を夜想に反映していきたい。

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» peyotl.jp from miuraani.com
今野裕一さんのブログがスタートしました!! peyotl.jp こんな話から... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2004年08月30日 23:55

コメント(1)

ほんとに、イチローはコメントしなければ好みのタイプだったのにい。差別発言に感じます。スポーツ界もまだまだ古いジェンダー観で被われており、観戦好きとしては、ときどき胸が痛むこと、あります。ドールの特集は、これまでの男性主導の価値観とは違った、女性の側からの視点で構成されるでしょう。

miuraane : 2004年09月01日 02:53

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2004/08/25

胎児の世界 三木成夫1

夏の暑い盛り
蝉時雨が耳を突く
東京芸大のキャンパスを抜けて
保健室に三木成夫さんを訪ねると

話ははずんでギリヤーク尼崎の
少女性などに及んだとき
懐から手製本の薄い冊子をとりだした

肌身離さず
もっていると
それは夢野久作の『ドグラマグラ』
の抜き刷りだった

夢野久作は
胎児の世界と夢の世界の
あいだに「細胞記憶」というかけ橋をわたしたと
三木成夫は語る
古生代の一億年を数日で復習する
胎児の世界
細胞にはすべての記憶が生きている

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2004/08/14

�w�َ��̐��E�x�O�ؐ��v

台風の先触れの雨が、黒塀を塗らしている。
午後4時に吉田屋料理店入った。
吉田さんがタオルを出してくれて、頭を拭いていると
やなぎみわさんもあらわれた。

ドールのインタビュー。
少女の話、人形の話……。

思っていた通り
人形には深い関係がありそうだ。

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