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妖 Yoh

妖 Yoh

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妖/イラストレーター
2004年よりフリーのイラストレーターとして活動開始。
「心の闇を彩るモノクロ」をテーマに独自のモノクロ世界をペン画で展開雑誌の挿絵・テキスタイル・イベントや展示会、ファッションブランドとのコラボレーション等、さまざまな方面で活動中。

妖 公式hp:http://www.yoh-gallery.net


Goods

妖/夢蝕の水族館 タイツ 発売!

妖個展『夢蝕の水族館』の開催を記念して、妖×パラボリカ・ビス オリジナル
「妖/夢蝕の水族館 タイツ」発売いたします!!
パラボリカ・ビスOnlineShopで好評発売中です!

「妖/夢蝕の水族館 タイツ」のご購入はこちらから>>

妖/夢蝕の水族館 タイツ

妖のモノクロ世界を存分に閉じ込めた、モノクロの世界をお楽しみ頂けるタイツ。
白と黒、気分にあわせて昼と夜の前後どちらでも着用可能なデザインに。
白と黒の世界が真ん中で分かれ、その境目に下がるカーテンがお洒落。
キラキラ砂のように光るカードも封入。

★前後 どちらでも着用可能デザインになっています。妖のモノクロ世界の昼と夜をお楽しみください。
カーテンからは太陽と月がのぞいています!


【タイツ仕様】
サイズ・・・M~L
材質・・・ポリエステル 92%/ポリウレタン 8%
80デニール相当



Event

★「妖/夢蝕の水族館 タイツ」は、パラボリカ・ビスでも販売しております。


妖 個展「〜妖のモノクロ世界〜 CHROME」
2016年3月18日[金]〜4月11日[月]
■月~金/13:00~20:00 土日祝/12:00~19:00
■入場料:500円(開催中の展覧会共通)
■展覧会 会場:parabolica-bis(パラボリカ・ビス)
住所:東京都台東区柳橋2-18-11
電話:03-5835-1180 map

update2015/10/01

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保坂和志×小沢さかえ×今野裕一トークショー【前編】

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トークショーは、2015年12月4日に、パラボリカ・ビスで行われました。
保坂和志+小沢さかえ「チャーちゃん」原画展



~生と死の境をふりはらう、猫を可愛く

保坂(以下H) 僕はこんな短い文章しか書いてないので、小沢さんが大変苦労して。最初に、どうしたの?

小沢(以下O) まず途方にくれて(笑)。もうこれで良いじゃないか、というくらい文章が完成されていて、絵を付けてもばらばらになっちゃいそうだなぁというか、絵が要らないものになりそうだな、というのがあったので。絵と文章が一緒に存在する意味を、最初はずっと考え続けていた気がします。

H そこから考えたんですか。
小沢さんには見せていないんだけど、キース・ヘリングのイラスト集があるんです、出版は2000年。絵本のモデルのチャーちゃんが死んだのは1996年の年末。僕は毎日泣いてるわけじゃないけど、たまにドドーッと思い出す瞬間があると、んー、とか思ってた。で、このイラスト集を見て、とくにこの辺(9見開き目)を見たときに、「あ、そうか!チャーちゃんは踊ってるんだ!」って思ったの。本当に、これを見てすごくビジョンを与えられて、こういう風なイメージを創り出せれば、チャーちゃんが死んだ今、自分がもっと楽になる、と言うと大雑把すぎるんですが、死ぬってことをもっと明るく捉えられるというか。死ぬことの問題というのは、死んだ瞬間とか、死に至るまでの治療の日々というのが、どうしても頭から離れなくて、ただそれは生きている時間のほんとに一部なんで、生きてたほうをしっかり自分の中で思い出さないと、死んだ子たちも不幸になるという感じがした。

 僕の友達の一人で、『季節の記憶』の蛯乃木くんのモデルの多田ってヤツは、このお終いのはじけてる絵を見て、これからはこれをお寺の襖絵にしてほしい、極楽浄土の絵のかわりにこれを貼ってほしい、と言った。それぐらい彼はこのお終いのほうの絵で感動したんですよ。
 僕はもともと、短く書けたのは、絵本にするからということがあった。誰が絵本にしてくれるとかは考えてなくて、とにかくこれは絵本の元になる言葉なんだ、と思ってるから、散文でもないし詩でもないし。僕の中ではまったく言葉で完成してるわけではないし、あらためて絵本になったのをページをめくっていくと、やっぱり脈絡はないんだよね。普通だったら「しかし」「だから」「それで」とかって繋がなきゃいけないようなものは何も無いから、それはページをめくることによって接続詞がわりになるっていうかな。
 もともと、なんで詩は改行するのかというと、接続詞を要らなくするためなんだよね。だから一行終わって次の行に行くときには、どういう気分になるかは分からない。そんなに丁寧に次の行の説明はしないから、その都度自分で考えて、って。だから詩は一回読んでも分かんなくて、何回も読んで、それぞれの人が詩の全体の流れとかを考える。
 だから、小沢さんはそう言ってくれたけど、元のテキストというのは『カフカ式練習帳』っていう色んなものを集めた本にポンと入っていて、あの本を読んであそこが良かったと言った人は一人もいないの。

O ふーん。

H 小沢さんにはそこだけが特別に渡されたから、きっとそう思ったので、そこからはやっぱり全部小沢さんの作業。僕のイメージとしては、本当に簡単なメロディーだけタタタタッって書きなぐった譜面が一枚だけあって、それを福音館の岡田君に渡して、岡田君がオーケストラの編成とかを考えて、それで全部オーケストレーションを組んで音を鳴らすのは小沢さんの作業だったという感じがする。

今野(以下K) でも僕も、あの文章は絵本のために完成された作品だと、今の今まで思ってました。『カフカ式練習帳』はこの間保坂さんにカフカのインタビューをするので読んだけど、カフカのところだけ読んでいたんだ、読者ってほんと自分勝手だね。僕は『未明の闘争』昨日から今日にかけて読み直して、自分が最近猫ちゃんを失ったこともあって、やっぱりそこを中心に読むというのも変だけど、そこが体の中に入ってきちゃう。以前と随分違う印象で小説を読みました。

H ネットで色々読者のレビューが載ってる「読書メーター」で一昨日くらいに見つけたのが、死んだ世界をこんなに明るく楽しく書いちゃったら、自殺願望もってる人とかに良くない、みたいなことを書いてる人がいた。前にも別の人が、これはよく考えてみると死後の世界だからチャーちゃんはお化けだ、って。そこを分けて考えることがもうすでにおかしいわけ。その考えを振り払うために、僕と小沢さんが考えたわけだから。
 芸術全般っていうのは、普段生きている社会の常識で「これとこれは別のものだ」って考えてたら駄目なんだよね。でもそういうことも、本になった時点ではすこし気持ちをよぎっていて、こういう風に死のことを無責任に明るく言ったらいけないんじゃないかって。そういう人も出てきたら逆に反論する機会もあって良いなぁと思ったんだけどね。

O わたしはもっともっと出てくると最初思いました。岡田さんとの話で、そういう反応も想定できるから、それが来ても反論出来るくらいの突き抜けたものにしないといけないということは言っていました。思った以上にこなかったなと(笑)。

H やっぱり仏教の極楽浄土のことを「そんなこと言ったらみんな死んじゃうよ」みたいに言う人いないからね。それがあるから生きていけるわけだから。

K 向こうで待ってるとか、向こうで呼ぶ、という感じは、実際に失うとよく分かりますものね。今ここに骨があるんだけど、この子の魂はどこに行っちゃってるんだろうか、とかね。ここにいる、あるんだけど、待ってるのかなぁとか、いやその向こうではもうのんきにしてるのかも知れない。でもこの本を見た瞬間に救われる気がした。

H お化けでも出て来てほしい、と思うもんね。

K 迷わず成仏してくれ、とは思わないですよね。いやもう、成仏しないでここにいろよ、彷徨って取り憑いても良いからとりあえずここにいろよ、って普通に思いますもんね。でも保坂さんはその気持ちからようやく解放されて、向こうで遊んでても良いかなっていう気持ちになられたのかなと思います。

H キース・ヘリングのこの絵と出会ったことは本当に大きくて。ただ、向こうで楽しくしてるっていうのは、逆に言うと、死ぬ前、病気になる前までの元気だったときに戻ることでもあるわけだから。だから前とか後とか考えることも、もうすでに間違っているのかも知れない。
 最初、僕は1回小沢さんの絵にダメ出ししたことだけは記憶にあるんだけど。どんな感じだった?

O 何を言われたんでしたっけ、「猫をもっと可愛く」というのは最初からずっと言われてましたけど(会場笑)。猫を可愛く描くっていうことの難しさがあって、リアルに描くと恐くなるし、あまり媚びた可愛さを出すとキャラクターになってしまうし、そこの加減が難しかった。本当にいそうなんだけど、でも実際の猫とは違う、というところが。

H でもさ、猫可愛いじゃん(笑)。

O そう、だからブサイクに描いたって、猫は可愛いもんは可愛いんだ、っていうのは思ったんですけど。保坂さんの「可愛く」っていうのはどういう意味で可愛くって言ってるのかなぁとか。

H この柄はどっから来たの。

O 柄は、緑とか自然の風景の中にいて溶け込みすぎないような柄。白っぽい感じにしたかったんですけど。真っ白にしちゃうと、存在がふわっとしちゃうし、茶色にすると画面が沈んじゃうかなと思って。最初に三毛を描いていたら、保坂さんが「オスに三毛はいない」って言って(笑)、一回白くして、乾くの待って、というのをやりました。柄入れるのは結構最後のほうにしたんですよね、最初は真っ白で描いていた。
 保坂さんからは、構成についてとかじゃなくて、本当に猫についてのことだけ言われた気がしますね。後はなんかもう良いじゃん!みたいな(笑)。


H あとね、アナーキーさが足りない、ってことは言ったんだよね。

O 最初「みんなのうた」みたいにして、っていう一言をポロッと言われましたね。

H それは覚えてないんだけど、言われると、そうだろうなぁと。

O それで「はい、分かりました」と言ったものの、そこもちょっと途方にくれました。

K 絵の中のチャーちゃんの感じと、自分が飼ってられた時の感じは、もちろん違うものだし、創作の中でも沢山描かれてますけど、小説に書いてあることと、自分の飼っていた感じとは、差がないものなんですか。保坂さんの小説にはチャーちゃんもいっぱい出てきますよね。

H あのね、それは違いはある。絵のチャーちゃんは、チャーちゃんとは別物だし、チャーちゃんだけは生きてる時間に小説に書いたことはないんですよ。『カンバセイション・ピース』という本の中で、3匹猫が出てきて、そのうち今生きてるのは1匹だけなんだけど。3匹がいる情景を、その本では3匹が生きてるときに書いていて。この間また河出文庫から出たから、チラッと読み直してたら、偶然開いたところが猫が生きているところで。僕は自分の書いた本ってほとんど読み直さないんだけどさ。で、偶然そこを見たら、やっぱり生きてるときに書いてると、本当に生きてるように書いてるんだよね、自分でびっくりしたんだけど。まったく死んだ回想の気配がなくて書いてるから、本当に生きてるようで、そこを読んでて泣いちゃった(笑)。そういう違いがある。

K 今の時点から、猫が亡くなられたときのこととか病気のこととかを書かれてますが、こっちから書いて、そこはそうだったかという過去の感じで書いているよりも、今も過去も両方に存在感があるみたいな書き方をされてますよね。

H 自分の中では、死んだものへ、今の時点から過去に向かって気持ちを持っていってる限りは、泣いちゃうみたいな混同は起きないんだよね。

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~はじけてぶっとんでる絵、「みんなのうた」レベル

H 京大の先生で、精神科医の新宮一成って親しい先生がいて。この本が出たときに大絶賛の電話をくれたのが、横尾忠則と、その新宮一成。新宮さんはラカン派とフロイトの精神分析が中心なんだけど、新宮さんもやっぱりこの絵が、ヨーロッパ的なものを自分の中でうまく昇華させてるって言い方をしたかな。二人とも、絵があるから、言葉がちゃんと伝わる、って言った。
 お終いの4枚がはじけまくりなんだけど、小沢さんが「3枚は描けなかった」って言ったじゃん。

O そうです。左上のものは最初に決まってたんですけど、あとの3枚をもう永遠に描き直し続けていて。サイズが大きいのは、モチーフが沢山入っているから、大きめにしたほうがのびのび描きやすいっていう理由だけなんですけど。1枚につき一ヶ月くらい描いて、コツコツやってたんです。で、それがダメ、ダメ、ダメ、っていうのが繰り返されて、一年近くこの3枚にかかってた気がする。最後の最後でもう入稿しないと間に合いませんというのを、締切の一週間前くらいに言われて。で、まだその3枚が描き上がってなくって。でも、もう描けるなってところまできてたので、時間は関係なかったんですけど。だからそれぞれ2日ずつくらいで描き上げたんですよね。

H その、ダメです、ダメです、っていうのは、描いたものを岡田くんに見せて言われたの?

O そうです。こうじゃないでしょ、みたいな。

H そうか。でも一番意外なのは、締切があったんだ、ということだよね(会場笑)。

O あったんですよ。

H 2012年の2月か3月に、小沢さんと岡田くんと3人で会って、小沢さんが「描きます」って言って。一年後くらいに最初のが出てきて、「これは~」って言ってやり直しになってから、ずーっと何もないから、僕はもう諦めたのかなと思ってて。本当に諦める人っているんですよね。でも小沢さんにとっては、そんなこととんでもない、失礼なこと言うな、みたいなね(笑)。「それずっとやってたのかぁ!」 って、人の話聞くと驚くんだよね、自分もやるんだけど。やってる本人にとってはあんまり時間って関係無いじゃん。何ヶ月かかった、何年かかった、っていうのは。でも人の話聞くと、えーっそんなにかかったのかぁって思う。

O その空白の期間っていうのは、わりと意図的で、もうここにくるまでは、保坂さんに見せずに行きましょうっていうのがあったんですよ。見せると、みんなが混乱しちゃうから、描く側である程度というか、これを見せたら保坂さんはもう納得するしかないだろう、というところまで出し切ってから、保坂さんには最後に見せましょう、という感じにしてたのが、音のしなかった期間だと思います。そこにいくまでに、非常に時間がかかりました。

H 横尾さんも言ったんだけど、これ4枚全部が結構破壊的なんだよね。最初の1枚目が、これは僕は火山の噴火に見えるんだよね。誤解する人が出てくるからあんまり大きい声では言えないんだけど。あと、突風で吹き飛ばされるのと、津波に流されてるみたいな。
 岩手に住んでる親しい人で、津波の被害にはあってないけど深く関わってる人が言ったのは、「この絵本からは、津波に対する鎮魂も感じられた」って。関わってない人、当事者じゃない人が口を出すと、津波の被害者の神経を逆撫でする、みたいなことになるんだけど、当事者は逆のことを言うんだよね。だから何かその、破壊的なイメージと、はじけて幸せな、ぶっとんでる感じというのが、つまり同じであるということ、その違いも無いんだよね。生きると死ぬの違いも無いと同時に。
 だから、この絵本でチャーちゃんが海を見てるところで、「死ぬ と 生きる の、違い? よくわかんないな。」って言うんだけど、ここだけは一応書いた人間として解説しておくと、というか書いたときは思ってなくて絵本を見て思ったんだけど、「よくわかんないな」っていうのは、そういうことを訊く気持ちがよく分かんないな、ってチャーちゃんは言ってるんだよね。生きると死ぬがどう違うのかが分かんないんじゃなくて、「なんでそんなこと訊くの?」 っていう。それが全編に、なんでそんなこと言うのかなぁ、そんなこと関係無いじゃん、っていう。かろうじて形あるものとしているだけ、っていう。そういうのが、社会常識ゴリゴリの人から見ると、津波の被害者の気持ちが、とかってなるけど、それはやっぱり、その先にはきっともっと幸せがあんだよ。そういうものが無いかのように生きている我々がおかしいんだよね。
 僕は最初好きになったのは、この絵なんです(夜の鳥と遊ぶ絵)。最初っていうのは、絵本がまだ形になる前のゲラ、色校だったんですけど。そのうちに、この草原を走るところが好きになって、目玉の大きいところが好きになって。「どれが一番好き?」とか言われると困るんだよね。あとね、本当に単純に、チャーちゃんが踊ってる2枚は、嬉しいんだよね、ほっとするんだよね。「あー良かったぁ」みたいな感じがするんだよね、どうしても(笑)。これはビジュアルの力だよね、本当に。


 僕が小沢さんに「みんなのうた」って言ったことをみんなは知らないんですけど、ある友達がこの絵本を「みんなのうた」にしてほしい、って言った。

O 文章にメロディーをつけるっていうこと?

K 良いんじゃない。でもアニメーションにしないほうが良いかもね。

H 僕わりとね、「みんなのうた」というのは基準になってるの。相当高いレベルにいかないと「みんなのうた」というイメージは出てこないんだよね。「みんなのうた」の中でも、良いのは年に1曲か2曲。「みんなのうた」の真似したような「みんなのうた」とか、ほかのポップスでも通用するような「みんなのうた」とかは多いじゃん。

K 最近お気に入りのとかはありますか。

H 最近じゃなくてリバイバルで、何年か前にやってる「月のワルツ」(2004)とか。らららんらんらんらららん♪ってオルゴールみたいので始まって、作詞は湯川れい子です。あと、これももう3、4年前、相対性理論(やくしまるえつこ)って人がやってる「ヤミヤミ」(2012)とか。あと毎回泣いたのが、「クロ」(2005-2006)っていう歌。あれはあんまり良い歌とは思わないんだけど、いつも出会うクロっていうのがいて、それが死んじゃう話で、そんなに良い歌じゃないんだけど話として泣いちゃう、みたいな(笑)。


協力/永松左知




update2015/10/01

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保坂和志×小沢さかえ×今野裕一トークショー【後編】

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トークショーは、2015年12月4日に、パラボリカ・ビスで行われました。
保坂和志+小沢さかえ「チャーちゃん」原画展

前編はこちら




~猫と気象、網膜剥離とエコー反射、自分がいるいないの感覚

保坂(以下H) 今日気がついたんだけど、最初にチャーちゃんが登場して座って遠くから家を見てて、次踊ってるでしょ、あそこで家の位置が右から左にずれてるから、チャーちゃんはすでにだいぶ移動してるんだよね。その動いてる感というのは、たぶん感じてるんだよね。島田虎之介という漫画家も言ってるし、横尾さんも言ってたんだけど、ページ全編、どのページにも風が吹いているって。

小沢(以下O) 風の強さを少しずつ変えてみました。

H 最後バーッて強風になるんだよね。

今野(以下K) 保坂さんの小説で、猫にとっての風の表現は重要ですよね。読むほうとしては結構びっくりして、風の要素と猫というのを、文学で見るのは初めてなので。


H みんな気象のことよく知らないんだよね。僕は、天気によって猫の体調が変わるんで、天気予報をずっと見てて全部録画で溜まってるから。

O 録画しておくんですか(会場笑)。

H 体調が特別おかしくなったときと、天気を、もう一度すり合わせるわけ。今は天気図も気象庁のネットとかで調べられるし、自分の書いた毎日の天気のメモとか。日記はつけてないけど天気だけはつけてるの。とにかくその辺はやたら詳しいんで。年々気象庁の天気予報は、すごい精度が上がったというか色んなことを表現するようになってる。20年くらい前は寒気のことくらいだったのが、この春から暖気までやるようになったんだよね。昔は低気圧と高気圧しか、それもNHKの教育ラジオで「ウラジオストクで何ミリバール」とかそんなことばっかりで、温度と風力と何ヘクトパスカルの気圧だけだったんで。
 昔ながらの気象だと寒気暖気はなかったんだけど、実際に経験する気象でいうとそっちのほうが大きいね。僕、気圧計も買ったのよ。猫の体調管理っていうか守るために。ところがね、気圧が下がるよりちょっと前から具合が悪くなるんだよね。猫のほうが気圧計より敏感なの。気圧って、温度みたいには調整できないんだよね。気圧計というのは温度計より古くて(この知識はちょっとあやしい)、よく「健康のバロメーター」って言うじゃない。みんな知らずに言ってるけど、バロメーターって気圧計のことなんだよね。19世紀のジョセフ・コンラッドって人の海洋小説を読んでると、気圧がぐんぐん下がる、みたいなことを言ってて、19世紀にも気圧計はあるし、それ以前から気圧って測定してるわけ。温度計は16世紀くらいにできて、温度というのは、湿度とか風力とか関係してくるから、体感温度では違う。同じ15度でも雨の日と晴れて風の日ではまったく違うんで、そんなものじゃまったく分からない。だから今みんな何度っていうことで騙されてるわけ。

K 30何度で暑い、とか。

H 30度って目安になるんだけど。熱中症になるのは32度なんですよね。30度は十進法の区切りだからね、32度が重要なの。そういうことをさ、人間が数字に騙されてることを、猫はみんな分かってる。

K 猫の体温って大体一緒?個別差って結構ある?

H 人間よりやや高めだけど、やっぱり個人差はありますよ。
 11月頭に発見したんだけど、うちの猫が、目が見えなくなっていて。ハナちゃんって、元々目が一個なんだけど。動きが変なんでおかしいと思って。でも目が見えなくなってから一週間くらい分からなかった。で、慌てて病院連れてったら網膜剥離って言われて。網膜剥離は高血圧でなるんだけど。猫の高血圧の原因は腎不全なんだって、でも腎臓の数値はあんまり悪くないんだけど。うちの奥さんはネットで猫ブログ見るのが得意で、腎不全の数値、クレアチニンが2.0だと少し悪くなり出してるみたい。人間だと2.0って大変らしいんだけど。2.0でも高血圧で網膜剥離になってる猫が確かにいるということが書いてあった。はっきり気がついたのは11月20日で、かれこれ一カ月になります。最初の頃は少しの高さの段ボールにのせても、こわくて降りれなかったんだけど、だんだん足を伸ばすことをおぼえて、足伸ばして着く限りは降りる。今はこれくらいの段差でも降りるし、慣れてると、今まで好きだった椅子があって、そこへは最近ぽんぽんって行くようになった。階段の上り下りも3週間目くらいからするようになったし。
 大体、高齢になって高血圧で網膜剥離になるっていうのは、獣医にしてみれば珍しくなくて一目見れば分かるんです、目をのぞきこんで、「あ、網膜剥離ですね」って。獣医さんは半年って言ったけど、ブログ見ると、3カ月で普通に動き回れるようになるって書いてる人もいるのね。

K 目が慣れるっていうこと?

H 獣医に言わせると、エコー反射なんだって。全盲のサッカー選手も、本当にゴールの隅に蹴っちゃうんだよね。元々目の見えない人たちも、全部エコー反射で、絶えず自分の口、舌を鳴らして、それの反射で、ここに木があるとか木の形とかまで分かる。

K 手術して直すとか、そういうことは無理なんですね?

H 網膜剥離になった瞬間に気付いて、そこで一気に血圧を下げると、剥がれた網膜が眼球の水の中でクシャクシャになってたそれが広がって張り付くという例はたまにはあるらしい。だけど見つけるのも遅かったし、それはまぁ無理。で、本人がそのことを気にしてない。しばらく消極的になったりしてたけど、なんで見えなくなったとか、見えなくなってる自分を嘆いたりしないじゃない。たぶん猫は、自分の死ぬことも嘆かないんだよね。でも、一緒に飼われてる猫は、その猫が死んだことをすごく寂しがるの。仲が良いと。〈いる・いない〉っていう認識は、人間だと当たり前だと思ってるじゃない。猫にとっては、〈いる・いない〉っていうのは、他者に対しては思うけど、自分には〈いる・いない〉とは思わないんだよ。人間は、自分がいるというところから考えを作り出してるけど、これは違うなっていう感じがするんだよね。「我思う、故に我あり」というのはやっぱり違うなと。
 ただね、僕がエサあげてた外の猫は、最大13匹いたファミリーが、『未明の闘争』でも終わりころに出てきますけど、この間2匹になっちゃった。それも姉妹。ところが、元々ソリの合わない姉妹だったの。そしたら、今年(2015年)の5月15日を最後に片方がぱったり来なくなっちゃって。僕は貼り紙までしたんだけど、もちろん区役所とか道路の管理してるところにも聞いたんだけど、どっちもうちの近所ではいなくなってからずっと動物の死体処理の記録はないんですよ(動物の死体処理は庭と道路では担当が違う)。だからきっと、いなくなった方はテリトリーを替えたんだと。残ったほうは寂しがるかと思ったら、1匹になってせいせいしててすっごい元気なの。あんまりソリの合わない場合には、一人になったほうがせいせいするみたい。

K 2匹いたとき、何かあったときのリアクションはちゃんと持ってるような気はしますよね。せいせいする、っていうことも含めて。複数飼いしてて、1匹がいなくなると、2匹の関係と、人間との関係って、またがらっと変わるじゃないですか。

H そう。その残った子は、ほかに仲の良い子がいたんだけど、その時はすごい元気だった。そういうのがいなくなって、なんか一番マズいのと二人になっちゃったー、みたいな。今はまったく一人で、ごはんのときだけ僕に甘えたり、まぁ近所で何カ所かごはんくれてるんだけど。それで平気な顔して、ここ4年で一番ふっくらして肉付きも良いの。それは、ある意味、勇気づけられる。死んだ子たちにも。チャーちゃんは、死んだときに、初七日まで置いておかずに、僕は焼かれたらその場で納骨堂に置いてきちゃったんですよ。何でかっていうと、ほかの猫に対してもフレンドリーだから、チャーちゃんならやってけると思ったの。うちにいたほかの猫だったら、これはうちに持ってこないとたまらないと思った。

K 喧嘩したりいじめられたりする?

H うん。でもチャーちゃんならやってけると思った。チャーちゃんがいるから、その後うちにいるペチャやジジが死んでも、納骨堂にすぐ持っていけて「チャーちゃん頼む」という感じで。そういう意味ではちょっと特殊でしたね。ただ毎月行ってたけどね、命日に。今向こうに3匹で、うちに1匹だから、向こうは賑やかだから、お寺はあんまり行かなくなった。今度12月19日がチャーちゃんの本当の命日なんで、その前後には行くと思うんですけど。

K 個別にまつってあるんですか。

H 納骨堂に三人、同じ棚。新しく死んだ子に前の子の骨を合わせて並べてくれるんですよ。東日本大震災の後もすぐに電話して「納骨堂は大丈夫ですか」って(笑)、棚から骨壺が落ちてないか確認した。

K 保坂さんって、文学で書かれているような回路で猫のことを思ったりするんですか。たとえば気圧のことだったら、ここに台風が来なかったらこの子の運命がちょっと違ったかも知れないけどそんなこと考えるのもおかしい、とかそういうくだりがあったとして、普通の時にもそういう風に思ったりするんですか。

H それは普通に思ってますね。あそこで来なければ、とか。ちょうど台風が来たときに留守してたんで、良いと思って家空けちゃった何時間かのうちに、すごく吐いてるのを…吐くのって、便秘もそうなんだけど、その場にいないとショックがいまいちこっちに来ないんだよね。そのままうずくまってても、どれだけ大変だったかは吐いてる場面を見ていないと、なんか真剣度が不足しちゃう。

K 歳とってきたときの病気とかの、油断とか恐いですよね。若い頃はこのくらいの風邪だったら大丈夫、みたいな。

H うん。それで、体質だと思っていたものが、歳とると病気になるんだよね。この子は便秘がちだとか、この子は吐きやすいとか。それが病気の形になってくるんだよね。

O おしっこが出過ぎるというのはどういう症状なんですか。うちの実家の子が、ものすごい水を飲んで、最後死ぬ前の半年くらい…。

H それは腎臓の機能が弱まったということなんでしょうね。病名でいうと慢性腎不全。腎臓が老廃物を濾過する機能があるので、普通だと少量の水で体内の老廃物を濾過して排出することが出来るんだけど、濾過する機能が弱まったんで、沢山の水を使って出すことになる。出てくる水も、薄くて匂いも弱くなってて。それが腎不全。そこまでいくと大分ひどいから、定期的に血液検査してるほうが良いですね。病気相談だ(笑)。



~猫との最初、チャーちゃんの最後、延命は人間の執着?
 死ぬときは分かって死にたい

K 保坂さんは最初に猫を飼ったときからそんな感じで、猫へ向かってたんですか。

H いや僕はね、まったく猫のこと関心無かったの。そしたら1987年の4月に、まだ結婚してないうちの奥さんがさ、子猫拾ってきたのが4月19日で。

K 日付覚えてる(笑)。

H いやだって、それは誕生日みたいなもので。もっとも僕は病的に日付覚えてる。それはちょうどサクラスターオーが皐月賞に勝った日曜日でね。「子猫拾ったって、そんなの知らねえよ」みたいなこと言ってたんだけど。自分が出会った日は覚えてないんだけど、5月の後半に彼女の部屋へ行って、この猫だよってポンと背中に乗せられたらもう可愛くってさ。それっきり。
 さっきの、芸術と社会生活の話なんだけど、僕が猫を可愛がるのを見てて、「あ、こんなに可愛がっても大丈夫なんだ」って言う友達がいるんだよ。やっぱり自分でそんなに可愛がってると、馬鹿なんじゃないかとかおかしいんじゃないかとか、自己規制がかかるわけ。それでやっぱり、芸術っていうのは社会の枠を外すことの実践だからさ。いくら文章とか声明で「我々に言論の自由を」とか言ったってさ、行動で踏み越えなきゃいけないのが芸術なんだから。横尾さんの言う、「社会を変えるより自分を変えろ」という(笑)。
 それまで実家で犬を飼ってて、犬も可愛がってたけど、まだそのとき自分も若いしさ、やっぱり犬の散歩を一日休んで酒を飲んじゃう、みたいなことはわりと普通で、自分のほうが大事ってところがあった。そういう、自分が何々したいっていうのが少し薄れた頃に出会ったから、なおさら良かったんだと思うんですよね。

K 小説でも猫への気持ちが段階的に深くなってることが思い出されたりしてますよね。昔は犬を散歩に行くのもちゃんとやらなかったけど、高校生になった頃には、とか。その頃猫ちゃんもいたけどこんなにはしなかったけど、というようなことが書かれていて。創作とは言いながら何かが正直だなぁみたいな。

H そう、真心さってあるよ(笑)。10年以上前に、僕の昔からの友達が、女性なんですけど、犬飼い出して。結婚して子供いないから、犬めちゃめちゃ可愛がってて。そしたら「あんたそんなに連れて歩いてると、死んだらペットロスになるわよ」って言われたんだって。良いじゃん、なったってね。言ったその人ってなんなんだろうなぁと思って。

K うん。死んでからもいたことのあとの人生だもんね。大切な子がいなくなった後の人生だもんね。


H そうしたらね、鎌倉の友達なんだけど、2年くらい前の秋にその犬が死んだんですよ。ちょうど、共通の友達を介して、あの人が犬の四十九日をこの間やったという話を聞いてて、お正月に彼女の夫婦とちょうどすれ違ったときに「死んじゃったんだってね」って言って。「親が死ぬより全然悲しいもんね」って言ったら、「そう言ってくれて助かる」って。やっぱり親が死んだときより悲しいって言うと、人非人のように言う友達がいるらしい。なんか良い友達もってないよね。親死んだときより悲しいに決まってんだよね。

K 涙は…親死んだときの量よりも、猫ちゃん死んだときのほうが、100倍くらい出ちゃいますね。なんででしょうね。やっぱり人間の場合は全力でやっておけばとりあえず今やれることはやったかも、みたいな、向こうとも意思も交わせるときに喋っておけばとりあえずそこで了解があるけど、猫ちゃんの場合は、了解自体無くていつも置き去りにされるっていうか、あそこでああしとけば良かった、とか必ず思うし。知識も後からじゃないですか。僕も『未明の闘争』読んでたはずなのに、抗がん剤がどれくらい効くかみたいな話って具体名を挙げて書いてあるじゃないですか。でも今回ちょっとミスをして、父親のがんの時にきいたので、猫ちゃんにもきくだろうと…。抗がん剤を使った後で、元気になりかかったので安心したのがちょっといけなかった、調べるのを怠った。保坂さんの本を読んでるのにどうして頭に入ってこないんだろうと。

H 絶対入んないよ。うちだって高血圧の網膜剥離って、奥さんは一番親しい人の猫ブログでちゃんとそこを読んでたんだよね。でもやっぱり全然入ってなかった。そのブログの人っていうのは、猫が25歳まで生きたの。

K おぉ!

H 後半の3年とかは、全部薬の管理をしてる。そこで問題なのはさ、また猫の飼い方の話になっちゃうんだけど、あんまり生かすほうにこだわっちゃうと、それがなんか、何て言うのかなぁ、猫本人はそんなに生きることに執着してないのに、自分の執着を投影することになっちゃうから…。俺は、ある程度のところで、猫を執着から放してあげるほうが良い気がするんだけど、そういうことが夫婦で考えが分かれるんだよ。

K 保坂さんはどっち派なの。

H 僕はわりと…一番分かりやすく言うと、延命はしたくない。とにかく、過度に頑張らない。本人が生きてる間は、別れることを、あんまり「行かないで」ってことは言わないようにする。っていうか、そうしたい。でもそのときになってみないと、わからない。考えのとおりにはいかないから。

K まぁそれはそうだよね。猫の延命って具体的には?人間の癌なんかだと、モルヒネ打ったり酸素吸入したりとかだろうけど。

H 外のファミリー(猫)のおばあちゃんを僕の部屋に入れて最後10カ月くらい飼ってたんですけど、それを看取るときもそうだったし、ペチャの最後もそうなんだけど、突如引きつけがくるんですよ。で、そのまま逝っちゃうんだけど、呼び戻すと戻るの。それが何度かくるの。そのときに、最初は当然びっくりだから呼び戻すわけだし、まだまだそこから一週間か二週間くらいは生きるんだけど、一発目のときからすでに「呼び戻すべきだったのかなぁ」と。人間もそうで、重体の救急患者で搬送された人に医者は「寝るな!寝るな!」って呼びかけ続けるんだよね。眠っちゃ駄目、意識不明の重体は駄目なんだよ。とにかく意識を持ってないといけない。で呼びかけると戻るの。だから猫も戻る。でも放っておけばそれっきりになっちゃうんで。そこから後は、それが第二波、第三波ってきて、で3回目か4回目に死んじゃうんだけど。最初に呼び戻すべきだったのかって、その辺は分からないですね。

K 僕は今回看取った猫は、最後はホメオパシーにかかってました。そろそろショックがくるよ、というのは分かってて。で、きたときに、最初のトリガーでくっと上がったときに座薬を入れるんですよ。で、少し緩和して、こう。でも、どっかでは、後にもっと大きいショックがきて逝くので、それはもうしょうがない、なるべく痛くないように、つらくないように、すっと逝けるようにするけど、でも最後はきついのがきますから、やっぱりちょっとそこは。でもそれに応対していく、それも自分のほうのことなのかもな、って思ったりもしますよね。1回で向こうへ逝ったほうが良いのかも。

H 僕自身はね、死ぬときは、すっげぇ痛い思いでもつらい思いでも、して死にたい。

K ああそう(笑)。

H 楽に、とかあまり考えない。分かりやすいじゃん。死ぬんだ!っていう。

K 眠るように、じゃなくて。分からないのは嫌なの?

H そう。友達の山下澄人っていう小説家の劇団の、井上唯我ってヤツが30代後半で死んじゃったんだけど、ずっと腎臓の癌で治療してて。最後に「俺死ぬのかなぁ、このまま今死ぬのかなぁ」って言ったのね。友達のおじいさんも、死んだときに「俺死ぬのかなぁ」って言ったらしい。だからわりとぴんとこなかった死に方をする人もいるんだよね。
 親父なんかは、交通事故だったんで、あれよく分かってない気がするんだよね。僕は友達の映画の現場で交通事故に遭ったんだけど、そのときは対向車のライトがうわーっときて「これやばい!」っと思った次は、道路に投げ出されてて、ちょうど満月だったんだけど、真上を見てて。怪我人がいっぱいいて、僕は軽いほうだったからか、死んだと思って後回しにされた可能性もあるんだけど、自分で頭に手を当ててみたらすごい血が出てて、「やばいこれ何か考えないと、このまま馬鹿になるかも知れない」って思った。空にちょうど満月があったから、「名月や…」後が出てこない(会場笑)。それで何となく気絶しちゃったんだよ。

K それ…すごいなぁ。やっぱり文字の、言葉の人なんじゃない?

H まぁ何か考えてなきゃいけないと思って。

K だけどさ(笑)。「痛い!」とか「やばい!」とか「死ぬのか~!」とか漫画の吹き出しじゃなくて、文学になってるじゃない。すごいなぁそれって。

H 親父の場合にはそこで終わってる、バンッって当たって投げ出されて死んでる。自転車で脇道飛び出して、脇見運転したおばあさんの車にはねられてポンッと逝ったんだけど。その瞬間に「あっ!」というのはあったと思う。その後はずっと意識不明。しばらく僕が行くまで延命はしてたんだけど、「あっ!」までで終わってると思う。
 そういうの、猫の場合は、病気で末期の場合には自然に閉じてるのかなぁって。でも、チャーちゃんはね、まだ若かったから、4歳ちょっとなんで、すごい痩せたけど同時になんか余力もあって、20歳過ぎで死ぬ猫とは大分死に方が違ってた。白血病だから、毎日何時間かお医者さんに預けてて、最後の日は夕方にとりにいったら、診察台に横たわってて、僕と家内を見て「ニャーニャーニャー!」ってすごい怒ってさ、「何いつまでもほっとくのよ!」みたいな感じ。最後は籠にいれたら駄目で、タオルにくるんで抱いて帰ってたの。で、これは大分やばいな、と思って。そのときは雨上がりでよく晴れてた、12月19日の夜なんですけど。早くしないと間に合わない、早く家帰らないと、って徒歩5、6分のところ。抱いてたら、真上見て、やっぱりそのときも月が綺麗だったんだけど、「あーんあーんあーん」って3回くらい鳴いて、それで死んじゃった。だからどうのってことじゃなくて、情景としてはそうだった。

K でも聞いてると、猫ちゃんも、飼ってた人の生きたように死んでいくのかもね。だって死にかけたときも月を見て、そのときもしかしたら死んでたかも知れないわけじゃない。だから月見て「あぁー」って言ってる人と、チャーちゃんの最後に見た風景は、ほぼ一緒。

~誰かを失くしたときの揺れて柔らかい状態、
 いろいろな考え方を許してくれるのが芸術

H 実はこれの出版直後に、小沢さんの猫も死んじゃったの。

O 1カ月経たなかったですよ、たぶん。出て結構すぐぐらい。これ描いてたから乗り切れたような…まだ乗り切れてないですけど。

K そうなんだ…乗り切れないよね。僕11月5日ですよ。1カ月ちょっとしか経ってない。
 下に、ヒッピーココさんっていう、ぬいぐるみ作家の作品を展示しているんです。彼女も愛猫を癌で亡くしたばっかりで、テーマが全部猫。〈ネコダマ〉っていって、猫が魂になってる。僕が亡くした猫が黒なんで、「黒いネコダマ作って」って言ったら、「何言ってるのよ、猫は皆死んだら白い色になっていくのよ」って言って、僕は「あぁそうかぁ」と。だから小沢さんも、白でも全然良かったんじゃないの、真っ白でも良かったのかも知れない。でもこれはちょっと違うよね、魂じゃなくて実体だからね。ここに描かれてるのはね。

O まぁでも最後一緒に描いてたから、うちの猫は見ながら「ここに行くのか」って思ってたのかも知れない。これは勝手なわたしの思い入れですけど。というのがちょっと救いになってるというか。

H 元々絵本が出来る前から、自分の原作描く前から、誰の猫が死んだって聞いても、「あぁ大丈夫だよ、チャーちゃんがいるから。向こうでチャーちゃんが相手してくれるから」って思ってた。それほど性格が良い、フレンドリーな子だったんです。

O だからそれ言ってもらって、良かった。「チャーちゃんがいるから大丈夫だよ」って。

H 本当に、猫が死んだ瞬間、人が死んだときもそうなんですけど、残されたほうの気持ちとして、死んでまだ余韻があるときというのは、そういう社会的な区別とか常識とは違う、変成意識状態に入ってるじゃない。だから、「四十九日までには何をしてないと成仏しないぞ」とか言われると、簡単に騙されてそっちいっちゃうように、すごく揺れて柔らかい気持ちの状態になってるでしょ。それがやっぱり芸術だと思うんだよね。そういう揺れて、柔らかい状態。それが本当に形になって。チャーちゃんのフレンドリーさも、誰の猫が死んでもチャーちゃんが待ってるとか、チャーちゃんがいるからそっちは大丈夫だって言われるだけで、そんな他愛もないことでほっとしたり安心できたりするわけじゃない。何かそういうものが必要なんだよね。


K いろいろ考えても良いっていうのを許してくれる、きっかけをくれるのも芸術ですよね。どういう風に、いなくなった子がいるか、ということを考えても良い、みたいなね。

H 僕が中学くらいのとき、70年代前半に、山梨のおふくろの実家のいとこが飼ってる猫が死んでさ。田舎の家ってのは犬も猫も絶えずいるわけよ。次に行ったときには別の犬か猫がいるみたいな、簡単に代替わりしていくような気楽な飼い方をしてるんだけど。その中で僕のいとこ、12、3歳年上のお姉ちゃんが、猫が死んだときに着物着せてあげて箱に入れて庭に埋めたんだって。それを、おばちゃんたちとかはみんな、甲州弁で言うと「あんなおきちげえさんのようなことをして」って、気違いのようなことをして、っていう風に言われちゃうようなところで、あのお姉ちゃんはよく頑張ったなと思う。自分ひとりで、その悲しみを誰も共有してくれなかったわけだから、あれは偉かったなと思うね。

K 保坂さんはいまどれくらいの猫とかかわってるんですか。

H 外も1匹、中も1匹。それ以外は、僕も来年60になるから、もう子猫は飼えないわけですよ。猫も15歳過ぎると手間かかるようになるから、自分も75で老老介護だからさ(会場笑)。今もうちのハナちゃんに結構薬飲ませてるんだけど、朝と夜の分量とかがうっかりすると分からなくなってるんだよね。だから、これは頭きちんとしないと無理だなと思って。
 それとか、面倒くさいからこっちでいいや、これやったからこれは要らない、みたいな誘惑がおきるんだよね。

K 人間の理屈で相手したら可愛そうだもんね。ありがとうございました。

協力/永松左知





★書籍情報『チャーちゃん』

保坂和志作・小沢さかえ画
定価:1,400円+税
発行:福音館書店

update2015/10/01

news

Seiko Mikami Project

今野裕一・夜想編集長が出演!
Seiko Mikami Project「三上晴子をめぐる新たな鍵…は一つではない」

3/14(月)19時ー21時 Seiko Mikami ProjectのトークをDOMMUNE(http://www.dommune.com/)  
で放送!→終了しました。

アーティスト三上晴子(1961-2015)。
三上の80年代の軌跡を追った展覧会「三上晴子と80年代」から見えてきたこと、
三上のARTLABとYCAMで制作された作品について、
教育とアーカイブについて話し合います。
会場での傍聴も可能です。

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【タイトル】
Seiko Mikami Project「三上晴子をめぐる新たな鍵…は一つではない」
【放送時間】2016年3月14日月曜日19時ー21時
【アドレス】http://www.dommune.com/
【会場】東京都渋谷区東4−6−5ヴァビル地下1階 DOMMUNE Studio
*会場での傍聴:入場料が必要です。ご予約はDOMMUNEサイト「DOMMUNEスタジオに行ってみたい!」(http://www.dommune.com/about/)まで。

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【1部】展覧会「三上晴子と80年代」
出演:今野裕一(夜想編集長) X 馬定延(研究者/映像メディア学)

展覧会「三上晴子と80年代」の作品と資料およびその背景となる時代像について、そしてそれと関連するトークイベントでの議論を整理する。また今後の展開についても話し合う。

【2部】ARTLABとYCAMで制作された作品 
出演:四方幸子(キュレーター) X 渡邉朋也(アーティスト)

三上晴子との出会いから、ARTLABでの《Molecular Clinic 1.0 on the Internet》(1995)《Molecular Informaticsー視線のモルフォロジー》(1996)制作にいたるまでの経緯とその過程、その後、YCAMで《Desire of Codes》(2010)の制作と世界巡回などについて。

【3部】多摩美術大学における教育とアーカイブ 
出演:久保田晃弘(多摩美術大学教授) X 渡邉朋也(アーティスト) X馬定延(研究者/映像メディア学)

多摩美術大学における三上晴子との教育実践について。今後の三上アーカイブに関する取り組みと展望について。

【総合討議】
出演者が全員で総合討議を行います。






この展覧会は終了いたしました。情報および資料のご提供など、多数のご協力をいただき、ありがとうございました。

今回の展覧会のために行ったインタビュー、トークで得られた情報、来場者の方々から頂いた情報等をまとめたドキュメントを制作いたします。

情報は夜想/パラボリカ・ビスのホームページにて発表いたします。

今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
http://www.yaso-peyotl.com





関係者、来場者からの作品や資料の提供があり、会期を延長しました。
11月1日[日]17:00まで開催します。

追加作品・資料:
舞台「ワルプルギス」舞台美術プランのドローイング、「ワルプルギス舞台」舞台写真、「バリカーデ」(飴屋法水との共作)の脚本・直筆の書稿、84年三上のパフォーマンスのフライヤーが入ったカセットマガジン「TRA」、小作品など。
他、"Bad Art for Bad People"(1986)に使用したと思われるケーブルを山川冬樹がライブの際に組み立てました。会期中展示しています。






Cross Section of Metropolitan Neuro System/1986/© Lyu Hanabusa





三上晴子は、80年代という時代とともに鮮やかに登場しました。1985年の初個展「滅ビノ新造型」で脚光を浴びる以前に、すでに東京の最先端のアートシーンにおいて、華やかな存在として注目を集めていました。その後、神経や脳を思わせるケーブルやコンピュータの電子基板を使ったオブジェやインスタレーションを発表、急速に発展する情報社会における都市と身体の関係を提示するものでした。膨大な廃棄物が集積され作品へと転化された光景は、ポストモダンが始まり、バブル経済に向って変容する都市に逆襲するかのようなデッドテックな雰囲気に満ちていました。

92年に渡米しコンピュータ科学を学ぶなか、不可視の情報と身体の関係へと興味が移行、90年代半ば以降、インタラクティヴ作品を発表し始めます。それと同時に三上は、80年代の作品を封印するようになりました。しかし80年代の活動は、素材や表現方法が異なっていようとも、アーティスト三上晴子が形成された基盤であり、その根幹や問題系は、近年の作品に至るまで通底しているのではないでしょうか。

おそらく今という機会を逃すと、80年代の作品や資料が散逸し、辿れなくなる可能性があります。今後のアーカイブ構築へとバトンを渡すべく、会期中もトークショウや聞き取りなどによって、資料の収集を行いたいと考えています。





Seiko Mikami Project v.1 「三上晴子と80年代」

■2015年10月2日[金]〜11月1日[日]→会期を延長しました!
■月〜金/13:00〜20:00 土日祝/12:00〜19:00/最終日は17:00まで
 *10月21日[水]、23日[金]は資料室をcloseします。 資料はご覧頂けます。

■会場:parabolica-bis [パラボリカ・ビス]
■東京都台東区柳橋2-18-11  map
■http://www.yaso- peyotl.com
■TEL:03-5835-1180

■入場料:500円(開催中の展覧会共通)

■企画・キュレーション:今野裕一+四方幸子

■主催:
Seiko Mikami Project v.1実行委員会 (今野裕一/四方幸子/時里充/新妻葉子/馬定延/ミルキィ・イソベ)
パラボリカ・ビス

■協力: 多摩美術大学メディア芸術コース、P3 art and environment、株式会社レントゲンヴェルケ



[展覧会]

■作品展示

出品作品(予定)
《Iron Plant》(1984−1985)、《Dead Micky》(1987)、《Bio Chips》(1988-1991)、《Information Weapon》(1990)他

■資料展示

・三上晴子の80年代の活動歴と80年代年表の掲示
・三上晴子と関わりがあった方々からのコメント
・展覧会写真、記録映像、TV映像の上映


[イべント]

特に記載がないものは●前売・当日:1500円

●10/02[金]19:00〜 オープニングパーティ 無料
●10/04[日]20:00頃〜 トーク/飴屋法水(演出家、美術家)
●10/10[土]17:00〜 トーク/椹木野衣(美術評論家)×山川冬樹(ホーメイ歌手・美術家)
●10/12[月・祝]19:00〜 トーク/山形浩生(評論家)
●10/16[金]19:00〜 トーク/嘉藤笑子(Art Autonomy Networkディレクター)×常葉のゆり(コーディネーター)
●10/24[土]19:00〜 ライブ/山川冬樹(ホーメイ歌手・美術家)  *終演後トークあり 前売:2500円/当日:3000円
●10/17[土]19:00〜 トーク/都築響一(編集者)
●10/25[日]
15:00〜18:00
トーク/高祖岩三郎(批評家・翻訳家)、池内務(レントゲンヴェルケ代表)、芹沢高志(P3 art and environment 統括ディレクター)、今野裕一(夜想編集長)
ラウンドテーブル

18:00〜    
クロージングパーテ/ライブ 予約不要・無料
出演:谷口暁彦、大西義人、加治洋紀(ひつじ)

□各日開演時間の15分前からご入場いただけます。
□イベントの料金には展覧会入場料が含まれます。
□終演後、展示をご覧頂けます。
□イベントの日程・料金・内容は変更になる可能性もございます。




[三上晴子 プロフィール]

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©studio parabolica/Photo: Naoya Hatakeyama

1961年生まれ。



1984年から情報社会と身体をテーマとした大規模なインスタレーション作品を発表。

1992年から2000年までニューヨークを拠点に日本及び欧米で数多くの作品を発表する。

1995年からは「知覚によるインターフェイス」をテーマとしたインタラクティヴな作品を発表。

2000年に多摩美術大学情報デザイン学科に着任。国内外の美術館・ギャラリー、メディア・アート・フェスティバルに出品参加。2013年には《欲望のコード》(山口情報芸術センター[YCAM]委嘱作品、2010)が第16回文化庁メディア芸術祭のアート部門で優秀賞を受賞。

2015年1月2日没。






[三上晴子 80年代の主な活動]

1984
■パフォーマンス “クリーンアップした都市空間に反発し建設現場で酷使され工場で機械としての機能を失った鉄の叫び”、シリン、東京
■パフォーマンス “ナムジュン・パイクをめぐる6人のパフォーマー”(ナム・ジュン・パイク、坂本龍一、高橋悠治、髙橋鮎生、立花ハジメ、細野晴臣、三上晴子)、原宿ピテカントロプス、東京
■パフォーマンス “ナムジュン・パイク来日パフォーマンス”、主催ギャルリーワタリ(現ワタリウム美術館)、東京



1985
■「アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン」のためのシンボル・マークオブジェの制作
■“ノイバウテン廃鉄立体写真展”、会場構成・オブジェ制作、WAVE ウェイブ・トップギャラリー、東京
■“マタイ1985東京ハプニング”、坂本龍一のためのオブジェ楽器制作
■個展 "New Formation of Decline 滅ビノ新造型"、恵比寿ビール工場研究所廃墟(現ガーデンプレイス)、東京
■イべント つくば科学万博で当時世界最大のテレビ、ソニーのジャンボトロンを用いたパフォーマンス「TV WAR」(コンセプト:浅田彰、音楽:坂本龍一、ビジュアル:RADICAL TV)映像提供、茨城
■パフォーマンス “鉄一揆~ハイテック内のローテックの反乱”、サウンド担当、スタジオフィリオ、 東京
■グループ展 “有楽町西武開店一周年企画 アンデパンダン20’s”、有楽町西武アートフォーラム、東京



1986
■イべント “ラディカルステーション”パルコ、東京
■演劇公演 “ワルプルギス”[東京グランギニョル]、舞台美術、大塚ジェルスホール、 東京
■個展 "Bad Art for Bad People 都市の断面図"、飯倉アトランティックビル地下1F、東京



1987
■演劇公演 “バリカーデ Baricade”[飴屋法水×三上晴子プロジェクト]、舞台美術、ATELIER RAMDE SCOP、東京



1989
■グループ展 "Outside the Clock beyond Good and Elvis"(キュレーション:ロバート・ロンゴ)、Scott Hanson Gallery、ニューヨーク、U.S.A.
■グループ展 "Techno-Metaphysics"、Grace Borgenicht Gallery、ニューヨーク、U.S.A.


1990
■個展 "Information Weapons 1:Super Clean Room"、トーヨコ地球環境研究所、横浜
■個展 "Information Weapons 2:Media Bombs"、アートフォーラム谷中、東京
■個展 "Information Weapons 3:Pulse BEATS"、P3 art and environment、東京





★三上晴子の作品写真、映像、活動に関する情報などのご提供もお待ちしております。



No Balance Missile/Installation/1990/©studio parabolica/Photo: Naoya Hatakeyama


★同時期開催

シュヴァンクマイエル「ブリコラージュ」展
2015年9月5日[土]~9月23日[水・祝]
2015年10月3日[土]~10月26日[月]

「シュヴァンクマイエル・トリビュート/マンタム・ディレクション」展
2015年10月3日[土]~10月26日[月]

西條冴子人形展/Fragilitas, tuum nomen est,
2015年10月4日[日]~ 10月26日[月]





update2015/09/01

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三上晴子「オール・ハイブリッド 1984-1990 SEIKO MIKAMI」

ペヨトル工房から出版された三上晴子関連書籍を紹介します。


「オール・ハイブリッド 1984-1990 SEIKO MIKAMI」

三上晴子によるアーティストブック。

三上晴子がプレゼンしてきたスタイルや写真をもとにミルキィ・イソベがコンピューの基盤やプレート類とエディションナンバー部分、テキストページなどをデザインした特装本を制作。
写真は今で言う生写真で表紙の基盤は三上が調達し、一つ一つ異なっていた。

これはその特装本をモデルに作られた普及版である。三上の80年代の展覧会や作品が 年代別、シリーズ別に綴られており、作家の制作や思考の変化を知ることが出来る。

著名な写真家やアーティストによる写真や三上が活動した時代の空気を伝える装丁も魅力。

■25年前に出版された書籍であり、経年による劣化が見られます。あらかじめご了承ください。


■書名:「Seiko Mikami 1984-1990/ALL HYBRID」 
■著者:三上晴子
■1990年
■発行:ペヨトル工房
■本体価格:3,668円 (税込)
■ISBN978-4-902916-35-5 C0772


*25年前に出版された書籍であり、経年による劣化が見られます。あらかじめご了承ください。


★パラボリカ・ビスとOnlineshopにて発売中!


特装本の写真を表紙に用いた。


「滅ビノ新造型」展の際に本人が撮影したポラロイド写真から。


個展 "Information Weapons 1:Super Clean Room"、トーヨコ地球環境研究所、横浜
本物のクリーンルームである個展会場の入口で配られたステッカー。
この後に個展会場の写真が続く。


update2015/08/30

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井上弘久 朗読演劇|DVD 変身




★2015年4月3日~5日にパラボリカ・ビスで行なわれた、井上弘久 朗読演劇『変身』がDVDになりました!


朗読●井上弘久
音楽●𠮷田水子(コントラバス奏者)
照明●岡野昌代
ドラマトゥルク●山田真実
企画●今野裕一(夜想)+金宗代

撮影●赤羽卓美
楽譜●𠮷田水子


OnlineShopでのお求めはこちらから>>






プロフィール


井上弘久(いのうえ・ひろひさ)

朗読演劇家、俳優、演出家。1952年 東京生まれ。
1979ー88年 太田省吾主宰の転形劇場に所属。
「水の駅」「小町風伝」「→(やじるし)」など出演。1990ー11年 演劇集団Uフィールドを主宰。
「孤独な老婦人に気をつけて」(マティ・ヴィスニユック)、「女中たち」(ジャン・ジュネ)、「太田省吾の世界」など演出。
冒頭から最後の一行まで、地の文も会話もすべてセリフと化してしまう、朗読演劇という表現スタイルを確立し、
2014年 チャールズ・ブコウスキー没後20年連続企画 朗読演劇『町いちばんの美女』。
金子雄生、中原昌也、大谷能生、齋藤ネコらと共演。
2015年4月、今野裕一演出のもと、カフカ「変身」に挑戦し、約3万字を暗唱する驚異の一人劇を見事に演じきった。
6月、ブコウスキー朗読演劇「町でいちばんの美女 2015」。


𠮷田水子(よしだ みなこ)

東京藝術大学器楽科(コントラバス)卒。桐朋学園大学音楽学部研究科卒。
1990年代から、自身のプロデュースによる音楽劇「アベラールとエロイーズ」、オーストラリアのアボリジニを題材にしたコントラバス2台(または3台)による「ソングライン」、創作バレエ「人魚姫」をプロデュース及び出演。
ピアノ・パーカッション・コントラバス女性3人によるワールドミュージックグループCanBeDoを結成。
1996年から岩崎浤之とタンゴコスモスのメンバーとなり、多数の演奏会、CD録音に参加。
1999年、NPOの依頼でネパールで鍵盤ハーモニカの指導に赴く。
それ以降ネパールの歌をネパール語と日本語訳で歌い続けている。
2001年からギターの竹内永和と毎月ライブを行いあらゆるジャンルのレパートリーを増やし続け、
現在はラテン、シャンソン、タンゴ、映画音楽、中世ルネサンスなど。
クラシックのソリストとしても活動しており、2006年・2007年、パントマイムの山本さくらと共演。
2010年、タンゴ歌手の西澤守をフィーチャーした作品「タンゴの歴史」の脚本・構成・演出。
2011年夏、三重県にあるパラミタミュージアム内の池田満寿夫氏のコーナーにて竹内と演奏。
2013年7月には近江楽堂にて、長岡聡季(ビオラ)と、オーケストラをバックにソロを務め、好評を博した。
2014年より井上弘久氏の朗読演劇(ブコウスキー作『1ドルと20セント』、カフカ作『変身』等)の音楽を担当し演奏で共演。
クラシックのソロから、室内楽、ピッチカート奏法からタンゴ奏法まで幅広いジャンルで活動。
躍動感溢れるリズムに、低音から高音域までを駆使した伸びやかな演奏が特徴。







冒頭から最後の一行まで、地の文も会話もすべてセリフと化してしまう、
熱量のいるこのパフォーマンスは、朗読演劇という分野の正統なはじまりとなるだろう。
この成功は作者の生の経験を引きうけられる、若さを通りこした役者だからこそだが。
——青野聰(小説家)



舞台人は、役者にしてもダンサーにしても饒舌な身体を持っている。
もちろん役者は舌自体が饒舌な場合が多い。
井上弘久がかつて所属した転形劇場はその俳優の饒舌さをストイックに押さえた。
それでも役者たちは無言のまま饒舌に演じていた。その葛藤が面白かった。
転形劇場と太田省吾には縁があっていろいろな形で関係したが、
その時に井上弘久は居なかった。
だから、ブコウスキーの朗読でしか役者・井上弘久を知らない。
朗読を見て、ブコウスキーを初見で読んで泣いたと聞いて、
カフカの『変身』を朗読してもらいたいと強く願った。
井上弘久はおそらく饒舌な役者ではないだろう。
役者の饒舌というのは、板の上に自分が居る/あるということを根底において成立している。
井上弘久は役者としての存在感以上に、ここまでの生き様を感じさせる人間としての存在感をもっている。ブコウスキーもそうやって文学をした。
井上もそうやって舞台の上に立ってきたのだろう。泣くときはまず男として、人間として泣く、演じるのはそれからだ。
カフカの『変身』は饒舌な身体によって演じられ続けた。
その結果、カフカからだいぶ遠いところにいってしまった。
今、カフカに立ち返り、隠されてしまった『変身』の魅力を新たに取り戻すことができるのは、井上弘久のような生き様に根ざした身体だろう。
——今野裕一(夜想編集長)






「夜想#カフカの読みかた」(発行:ステュディオ・パラボリカ/本体1500円+税)好評発売中!!

update2015/08/30

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渡辺利絵 初作品集「今日はお留守番」 限定ぬいぐるみ付き特装版販売

「今日はお留守番」
私たちは、作家ともつ人とを介するところに居るけれども、人形やヌイグルミが、持ち主の家でどうしているかと、気にかかる。生き物の形をしているものたちは、不思議な力をもっていて、「販売」ではなく「お迎え」という言葉を使ってしまうのもそうしたことの一つだろう。
人形やヌイグルミは、作家が作って係わっている期間よりもずっとずっと長い間を持ち主のところで過ごす。顔や姿も持ち主の顔に寄添っていく。持ち主のところで落ち着いたところで作品として完成するのではないかと思ったりする。

渡辺利絵のヌイグルミたちは家でどうしているのだろうかと特に気にかかる。「今日もお留守番」なのだろうか、それともお出かけしているのか。彼ら(彼女たち)には、お出かけ感がぷんぷんしていいて、車に乗ったとき楽しそうだ。旅行するときもっとも生き生きしている。

それでもお家に居ることが多いだろうから、「今日もお留守番」、ほんとは旅すると良いのだけれど、家にいるとき、こっそりこんな風にしてるんじゃないかなと、それはそれで楽しんでいるんじゃないかなと、利絵さんと一緒に想像して見たのがこの絵本になったという感じです。

お家でどうしているかなヌイグルミ? それが作家と私たちのこの本に対する好奇心です。(今野裕一)


★残り僅か!parabolica-bisとOnlineShopにて、数量限定販売中。

parabolica-bis[パラボリカ・ビス]
東京都台東区柳橋2-18-11
TEL: 03-5835-1180
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展示、即完売を繰り返してきた渡辺利絵さんのぬいぐるみたち。
誰にも全体の様子が分からなかった渡辺利絵作品の世界観が、
はじめて手に取るように分かる!ようになった初作品集。
その作品集にぬいぐるみが付いた限定特装本。
渡辺利絵さんの手によるぬいぐるみは、一つずつ個性が違います!




販売価格:10,800円(税込)


★OnlineShopでのお求めはこちらから>>

★【渡辺利絵 作品集「今日はお留守番」特装版(限定ぬいぐるみ付き)】には、
ぬいぐるみが一点付きます。(付属のぬいぐるみ作品は選べません)








NADiff modern(東京)にてステュディオ・パラボリカのフェア開催中!!是非足をお運び下さい。


渡辺利絵のスペシャル・ぬいぐるみ(これまで未公開)、LIENコイケジュンコ「となりのカフカくん」が書籍とともに展示されています。

■NADiff modern
150-8507
東京都渋谷区道玄坂2-24-1 BunkamuraB1
TEL. 03-3477-9134 FAX. 03-3477-9138
営業時間:日~木 10:00 - 20:00/金・土 10:00 - 21:00







★渡辺利絵(Rie Watanabe)
大分県別府市生まれ。手作りのテディベアをプレゼントされたのをきっかけに、1990年よりベア作りを始め、いまやコンベンション、展覧会では一瞬で作品が売れてしまう超人気作家に。ユーモラスなぬいぐるみたちの中に、時間や風の流れまでも表現し、高い物語性を有する、稀有な作家である。
http://bearberry.blog.so-net.ne.jp/


update2015/07/19