pickup

rss

    news

  • editor's talk

books

嗤う伊右衛門 京極夏彦

SBSH0729.jpg
石野竜三さんの朗読が11月23日から26日までパラボリカ・ビスで行われるのだが

四谷怪談的なものをと選定中。
で、資料読みに耽る毎日。 おそらく『四谷雑談集』を読むことになるのだろうが
その経過で『嗤う伊右衛門』京極夏彦を読破。

現存作家を余り読まないので、京極夏彦もまったくの未読だった。
だった、が、読んで見て、素晴らしい!
『幻想文学講義』で読んだ、京極夏彦のインタビューが、かなり気にかかるものだったので、読んだしだい。

幻想を描くにあたって、現実から幻想の方へ上手にカットインする、あるいはすらりと入り込むというのが、通常の手法なのだが、京極夏彦は、現実の方で幻想を描いている。これは大変な力量で、伊右衛門も、岩も、梅もすべてこちらの側で、人間として蠢いている。ラストに現実が妖かしに侵犯されるのも鮮やか、そしてアディクションの様な、DVのような恋愛の機微を、描き込んでいて、そうだよな、ちょっとずれると運命はこうなっていくんだよな……という現代的な同感もある。歌舞伎の戸板もちゃんと使うし、原点もさらりと上手に挿入するし、ちょっと参ったなぁという、幻想小説だ。

update2012/09/14

books

カフカ式練習帳

残されたノートの記述を友人が編集して出版したというカフカの小説の出来が、現代人の創造力を掻き立てる。

SBSH0711.jpg

おもしろい断片を書きたかっただけだ。カフカがノートに書き遺した断片がおもしろくて、自分もそういうことがしたくなった。

(カフカはつながりのある小説をノートに綴っていた。日常から入って、しかもシチューションを説明することなく書く、スタイルだったので断片に見えるだけだ。あるいは、推敲前でつながりが分らず断片と見えるように残っている。)

(カフカの書き方と、近いわけではない。日常から入っていく感じは似ているが、カフカは、他者の引用はほとんどしない。保坂は引用を断片として差し込んでいく。しかし『カフカ式練習帳』に書かれている小説は…形式は、面白い。すらっと一冊、読み通せる。)



update2012/09/01

books

ちくさ正文館

今の文庫って…

8月23日

今日で、ちくさ正文館にかようのは3日目。ゲネプロの準備をしながら、古田さんと本の話をする。
毎日、毎日、本棚の脇を通って、2階の現場に向かう。
夜想が創刊したとき、営業して注文をとれば良いんだよと教わって、全国をまわった。名古屋はまずここちくさ正文館に来た。お茶を出してもらいながら、ベテラン書店員の古田さんにいろいろお説教かたがた教わった。1時間以上も話をされた。その時に出会った名物書店員さんで、現役なのは古田さんだけ。
そして今回、場所をかしてくれてトークショウもする。一日に、何度も本の売り場を抜けて外へ行くのだが、いつも古田さんは本を触っている。
文庫はねぇ、だいぶ変わったんだよ。全集から抜いたりするイージーなのもあれば、雑誌に掲載されていた元の形で、全集に出ていない形のを採録したりするのもある。この『久生十蘭短篇選』 川崎賢子編 岩波文庫 2009年は、出た年に文庫の売れ行き一位だったと思うよ。各社ともタイトルをそろえなくちゃいけないんで、大変なことになっている。でも面白いものも混じっているからね。これなんか『私は幽霊を見た 現代怪談実話傑作選』(東雅夫編/MF文庫ダ・ヴィンチ)凄いセレクションだよと古田さん。

update2012/08/23

books

『カストラチュラ』 鳩山郁子

SBSH02061.JPG

「ハオマー八番音読しなさい」
ハオマーは読み上げる。
「皇帝は幼い頃より宮中に深居し、それはいつしか独自の美的なるものの世界を形作り生涯それに耽溺する要因となったと思われる。」


さあてどこに行こうかと彷徨いぎみに夜の裏観音を歩いているとき、ふと、倉庫の奥に碍子を隠しているのを思い出した。電柱を立てて、電線を這わして…ショウ・ウインドウができるなら、耽美にまた溺れるのも良いかもしれない。
夜想は、ネオの時代のそのネオ具合に身体を任せて復活した。そして00年代が過ぎ次のディケイドに入ろうとしている。彷徨いはそのことと関係があるのかもしれない。
鳩山郁子が示しているのは、ネオにならないそのままでの未来。ゴシックがゴスになり、人形がドールになる、耽美がおたんびになる中で、耽美が今、生きるには、いや頽廃するにはどういう可能性があるのかという、そこを描いているのが美しい。
この未来派の耽美を享受できる人民とともに新人類を養成することが新たな使命なのか…もしれない。

展覧会のフライヤーにも引用した、
『けれどもその裏腹では身体と精神とをばらばらに遠避けているところで安住しているのだ。』
なぜ去勢歌手でありながらその原理を我がものとして入れることをしないのだろう。と、人工の不具者である者たちが相互に相手に原理を受け入れることを諭しながら、自らは不完全者として卑下する裏腹。人工の、究極の美でありながら、受容する器を持てぬ哀しさは、まさに我が身の頽廃にも近い。
いや我が身のというには、余りにいい加減に生きてきた。このものたちの頽廃にもっと身を持ち崩したい。頽廃が未来に生きないというのは余りに明らかなことではあるが、頭で読みきったふりをするのは反退廃的過ぎはしないかと、自省する。

その果てに膨らみつづけた去勢歌手の肉体が限界を超えたとき、解剖学の天使に誘われて、昇天する、少年の姿に戻る、卵形に膨張した纏足の去勢歌手よ。その一瞬に描かれた頽廃の未来。少年は虚空でブランコにのる、その天使になる。屍体は若かりし肉体の貌を取り戻す。この見果てぬ頽廃の甘美。なにものにも代えがたく、鳩山郁子が作り出した21世紀の耽美。

update2011/11/30

books

遅いっ!

夜想bis+ Amazonさん載せるの遅過ぎる。 しかもいきなり品切れ。 

Amazon上では夜想が新本を割引で供給します。

Amazonの品切れがとまるまでの緊急措置です。


update2011/11/17

books

LIEN「Seabed tuberosa」

LIEN「Seabed tuberosa」はトラベラース・ノートとして使う機能をもっている。

LIENはヌイグルミを連れて、旅に出た。イタリアから仏蘭西へと。

アートブックの中には、旅の記録がつけられるトラベラース・ノーとが組み込まれている。

イタリアから一枚のカードがとどいた。

旅はまだまだ続く。



update2011/10/06

books

夜想bis#ドールという身体<普及版>

夜想・bis
本誌も早く編集しなくてはならないのだが、どうしても今を編集したくなって、夜想・bisを創刊した。夜想は夜想なのだが、時代の変化が激しく、自分の数年前にした仕事をヴァージョン・アップしなければならないことに気がついた。
身体としてのドール。その中で、ベルメールの影響を本格的に受けている人形作家はいないんじゃないの?という発言があるが、それがどんなに大きな意味をもつか…。
復刊した頃の、球体関節人形展がMOTで開催されていた頃には、とても頷けない発言だ。今は、それを受け入れることができる。だから今やることは…ということも分る。この5年の間に、何十年も、それ以上もかけてゆっくりと変化したものが、一気に変わっていくことを体験した。雑誌を刊行したり、展覧会したりしたことも少し関与しているかもしれない。その中にて変化がある。記述するのは難しい。それでも現実に正直にありたいと思う。その現れだと思っていただきたい。


夜想bis

update2011/10/06