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エコール・ド・シモン人形展@紀伊国屋画廊 3月8日
エコール・ド・シモン人形展@紀伊国屋画廊 3月8日
作りかけのような、朽ちているような…グリザイユの様な肌。
四谷シモンの新作人形は、ベルメールの初期のような風があり、アウシュビッツに収容されていた人形を今、リペアしながら創作したような未来感もある。人形のこれからを提案しているような作である。
グリザイユ好きにとっては、たまらない膚をしている。肌理にぐっと来るのは、以前からだが、グリザイユにこれほど反応する業は、どこから来ているのだろう。グリザイユはモノクロームで描かれた混合技法などの絵画の下絵で、少し色がついていることもある。青木画廊に出入りしていて、ウィーン幻想派に出会って、混合技法を知って、川口起美雄と鎌倉でセミナーをして、そのワークショップで、ファン・アイクのグリザイユに絵の何たるかを見たからかも知れない。
夜想創刊号には、川口起美雄のグリザイユ的絵画が描き下ろされている。お願いして描いてもらったものだ。夜想・鉱物特集の展覧会にもグリザイユで描いてもらった。建石修志にも少年と鉱物をモノクロームでとお願いした。ずっとそんなものに惹かれ続けている。肌の肌理ぐあいが、一瞬にして心を惹くポイントなのだろう。
作品ができ上がる途中で、創作の神のようなものが、降りてくる瞬間があって、そこを通過して作品は完成されるのだが、その降りてきた瞬間を見たいがため、それを凍結させたいという気持があるのかもしれない。ただシモンの作品がもっているグリザイユ的な要素は少し異っていて、降りてきていると言うより、自ら開いているという感覚がある。シモンゆえに、シモンの作品は自らが神ということもある。シモンにおける降臨する神は、自らなのだから、自らが意志をもつ、その反映が反映される瞬間ということなのだろう。
update2012/03/10