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『陰獣』 江戸川乱歩(1928)
1988年4月8日の未明は、春というのに大雪が降って、開花寸前の桜は雪花を咲かせた。雪明かりに眠れぬまま家を出て、上野公園をさくさくと新雪を踏みながら谷中墓地へ抜けていった。毎年、谷中墓地で桜見をするのに雪は、それも大雪は一度もなかった。雪は音を吸い無音のように感じる公園には、時折、雪の重みで枝の折れる音や雪の木から落ちる音が伝わってくる。
桜は雪に枝垂れて、枝先を重く雪に埋もれさせていた。この異様な風景を覚えているのは、その日、昭和の絵師・竹中英太郎が身罷ったからだ。死亡を知ったのは数日後だったが、絵師に相応しい雪と桜、送り火ならぬ送り花であったことよと感慨深かった。
熱にうなされるように竹中英太郎のことを考え続けた時期があって、それで夜想の特集もできたわけだが、いつもの悪い癖で、英太郎から『新青年』も乱歩も正史も見るという偏った本読みをしていた。改めて乱歩や正史に耽ったのは最近のことかもしれない。竹中英太郎の挿絵を見るために図書館の『新青年』をめくり続けた。英太郎は、たくさんの作家に挿絵を描いたために名を変えたり、名を記述しなかったりして『新青年』に描いていた。それを見抜くのが無上の楽しみでも会った。息子の竹中労氏のように戦後の油絵を本道として英太郎を見る見方もあるが、(そしてそれゆえに竹中労とは最後に袖を分かつことになるのだが…)どうしたって『新青年』時代の挿絵、もっと狭めていえば横溝正史の『鬼火』と江戸川乱歩の『陰獣』を最高作と思うのが当然だ。左翼の人にありがちなエロ・グロに対する軽蔑と、教条的な本格をよしとする芸術観は、そのまま左翼運動の弱さにもつながったと思うが、竹中労の場合は父親コンプレックスと言えるほどの英太郎崇拝によるものだったような気がする。
英太郎は『陰獣』を描いて筆を折り満州へ向う。乱歩は『パノラマ島奇譚』以来の休筆を終えての復帰作であり、二人は『陰獣』で表舞台を交差することになる。『陰獣』と『パノラマ島奇譚』は、どちらも乱歩の力作であり人気作だが、当時の編集長の横溝正史とのやりとりが残されている。乱歩はしばしば正史を責めるように『新青年』がモダンになり過ぎたから僕が追いつめられたのだという。しかし正史は『陰獣』を大絶賛している。『パノラマ島奇譚』に比べ、オドロオドロしき妖気が、粘りっこいトリモチのように、全編にまつわりついている、と褒め、宣伝にも力を入れた。そのかいがあってか、作品が面白かったか、たぶん両方のことで『陰獣』掲載の『新青年』は増刷を繰り返すことになる。
甲府で会わせていただいた英太郎氏も挿絵の仕事を、あんなものは…という風に卑下しておっしゃっていて、息子の竹中労が絵画としての油絵を高く評価しているのを嬉しそうにされていた。横溝正史が、アルコールをやりながら寝る前に、妖しい妄想をするのが日課だったと書いているように、そして英太郎が癩病の少女をスケッチしに帝大の病棟に潜り込んだように、表はモダンにそして内実はどろっとしたものを希求していたのがこの時代の創作だったのかもしれない。もちろんそれは読者の欲望を写してもいたのだろう。
『陰獣』は、クールな語りの探偵と、姿の見えない大江春泥という乱歩そのものの二人が登場するが、書いている乱歩を入れれば三人の私のメタフィクション小説ということになって小説としての面白さがある。春泥は乱歩の作品を解説もするし、覗き趣味的に姿の見えない春泥に乱歩を重ねて読む楽しみもあって、そして創元社文庫だと、英太郎の挿画も当時のままでこの上のないものになっている。
探偵小説の仕組みとしては相変わらずでラストに破綻を起している。小山田静子が大江春泥で、六郎殺しの犯人だという帰結は、女性が化けた春泥のイメージがまったく想起できず、そして前半にもないも布石がないので受け入れがたい。静子が春泥だったと言われて、驚きとともに鮮やかにそうそかもしれない、いや絶対にそうだというどんでん返しでなければ、このような大仕掛けは、逆に、え?ということになってしまう。
一番の破綻は、記者の森田が実際の大江春泥に会っているという設定で、もしそれが嘘なら嘘をつく理由のようなもの書かないと、大きなルール違反だ。森田と静子が組んでいるか、森田が嘘を言っているかのどちらかでないと成立しないが。静子が夫の六郎を窓から突き落として殺すと言うのも、そんなことが簡単にできるかという感じだし、探偵小説家が推理し間違うように鬘を被せたというのも不自然で、それが便器のところに流れ着くというのもちょっと唐突だ。もちろん夫殺しの理由も感覚的に納得いかない。
浅草・山の宿(地名)を中心に東京のあちこちを円を描くように登場させているが、そのあたりは中井英夫のこよなく愛好するところだろう。浅草の外れ、今で言うと裏観音辺りを舞台に大川と堀を絡ませる設定は、人外がうろつく闇の深さを巧くとらえている。ふっと妄想するのだが、春子が春泥になっていたのではなくて、春泥の乱歩が春子になって、女装して鞭打たれたいという妄想の幻想が乱歩の脳裏に渦巻いていたのではないかと。それなら『陰獣』すべてに合点がいく。
update2010/05/28