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劣化コピー ネット/2チャン

ネットは劣化コピーの温床
ネット・マガジン『骰子の眼』/で浅井隆さんと対談してそう語った言葉が

タイトルになって
2チャンで炎上した。

2チャンが嫌いといった発言と
ネットは劣化コピーの温床と言った発言が
混ざって読まれているのだろうが

ネットの劣化コピーは
2チャンを媒介していなくて
おそらく信用に足りるだろうと思われているインテリのサイトやウィキペディアに書かれている
あっていそうな事柄が事実としてコピーされて定着していくことを言っている。

本について書いているものが、その本の解説を自分風にアレンジしたもので、そのアレンジが自分の感覚で、裏がとれていないものだったりする。しかしその人が本の権威だったりすると、それはあっと言うまに、ネットの基本引用事項になって拡がっていく。
それは読む人がうなずきやすい言いっぷりであるから、事実とズレていても、いやズレているがゆえに流布しやすくなるのだ。
ネットの劣化コピーは主にそのことを言っている。

2チャンが嫌いなのは、故無き、腐す言葉を叩きつける感じが嫌だということで、相手が嫌がること、元気なくなることをわざと言うという基本姿勢をしていて、それは2チャンネラーの思う壷通り、何かをする側は、するのが嫌になってしまうということなのだ。
作るという行為は、作っているというだけでレスペクトされるものではないが、批評が本来、次の創作に重要な力となるということとまったく逆のような作用を及ぼすからだ。
DVとかアディクションの恋愛の嫌な感じ、逃げられない感じ、それでも言い訳を行動してしまう感じを起す。それがとても嫌だと言っているのだ。ネットは使うので、ググったりするとなにかのおりにふっとあたったりする。で、逃げるのも嫌だからやっぱり見てしまい、しばらく何もする気がなくなってしまう。だから嫌だと言う個人的な話で、存在するなとか駄目だという以前の問題だ。

劣化コピーの根元になっている、あるいはその現象については、嫌とかという感情の問題ではなくて、メディアの有効性や美学に関する大きな問題だと思っている。できればこちらは無くなって欲しいと思う。そこに存在しているのは、僕は分っているという愉悦感と、それにともなう優位性と、それによって商売をするという行為の連鎖であるからで、劣化して書かれたそのものはただただ違うものにすりかえられていくというどうしようもない負の連鎖を浴びることになるからだ。

update2009/08/20