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断章〜Fragments〜展

2019年3月1日[金]~3月31日[日]★金土日祝のみオープン 
@パラボリカ・ビス


作品の細部に宿る作家の時と才能。
ビスにとりおきし秀作と新作を交えた感性の断章展



[Artists]

相場るい児
麻生志保
江村あるめ
佐久間友香
赤色メトロ
土谷寛枇
ヒラノネム
深谷友一朗
山本直彰
吉田美和子







断章〜Fragments〜展
2019年3月1日[金]~3月31日[日]★金土日祝のみオープン 
■金/13:00~20:00 土日祝/12:00~19:00
■入場料:500円
■会場:parabolica-bis(パラボリカ・ビス)
住所:東京都台東区柳橋2-18-11map
電話:03-5835-1180

アクセス:
「浅草橋」駅JR東口・徒歩6分/都営浅草線A6出口・徒歩4分
駅から:江戸通りを浅草方面に進み中華屋「川湘府」の角を右折。2本目の道を左、1本目の道を右に入る。








[作品紹介]

■相場るい児(陶芸作家)

『土人形(土鈴)』
1999年秋の頃だったか。
大阪天神橋のギャラリーで発表された相場るい児の作品は、明治以降すっかり姿を消してしまった縁起物としての女陰や男根を象った土人形だった。
素焼きした土に胡粉をかけ、魔除けの色として使われてきた赤で彩色。
伝統的な技法で仕上げられた相場の土人形達は、20年の歳月に洗われた今も鮮烈な印象を放っている。
呪力を内に抱き、玩具でもあり、人形としても魅了的なこの作品を、久方ぶりに提供してもらい断章‐Fragments‐展に出品した。

近頃は茶器や酒器、花器などを手がけることが多い相場だが、その作陶は人形制作から始まった。
もともと人形が好きで人形を作りたくて陶芸の道に入った異色の経歴の持ち主なのだ。

土人形を始めとする相場の人形達にこめられた呪術的要素は、器にも染み込んでいるのだからおもしろい。
2018年秋の頃。
京都山科・春秋山荘で発表した旅茶碗の一連などでは特にその印象が強い。
旅茶碗は抹茶茶碗より小さく湯飲みよりは大きな、携帯しやすく使い勝手の良い器。
相場はここに物の怪の気配をうつした。
実用だけの陶器ではない相場の旅茶碗の魅力は、それがどこか人形的でもあるからなのだろう。


『蜘蛛の糸小皿(菓子皿)』
相場が初めて小皿を焼いてくれたのは、あれは2015年だったと記憶している。
パラボリカ・ビスで開催された夜想・髑髏展が京都山科の春秋山荘に巡回した時だ。
会期中のイベント、髑髏茶会の為に抹茶茶碗を焼いた相場が、それと合わせて使えるようにと焼いてくれたのがはじまりだった。
以来企画に合わせ小皿を頼んでいるが、毎回焼いてくれるとは限らず、なので発表があった際にはできるだけ手に入れるようにしている。

蜘蛛の糸小皿は芥川龍之介の「蜘蛛の糸」を意匠にしている。
皿の中央に走る赤いひと筋は、犍陀多がすがった釈迦の慈悲。

大きさは約四寸。
茶菓子をのせる為に作られたのでこのくらいのサイズ感。
全て手びねりで制作している為、一枚ずつで表情が違う。
ちょっとした厚み、縁の返し、釉のかかり具合。
手に取って確かめながら選ぶのが楽しい。

(文:篠塚伊周)



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■江村あるめ(人形作家)

『羽化』
羽化は江村の東京での初個展「箱庭の秩序」で発表された。
2012年の暮れの出来事である。
その後、2013年1月にパラボリカ・ビスで開催された人形展Elpisに出品。
展示が終るとアトリエに戻り、そのまま数年間の眠りについていた。

断章‐Fragments‐展への出品にあたり、肩甲骨からのびる糸(羽のようなもの)を染めこみ、江村の今の感触に近づけている。
カサリとした肌は和紙貼りの上にテンペラ彩色を施したもの。
この人形の制作で初めて取りいれた和紙貼りの技法は現在も継続している。
江村はこの人形を「抜け殻」だと言う。
何か途轍もなく美しいものが羽化したその名残り。
どんなものがここから生まれ旅立ったのか。
それは見る者の想像に委ねられている。

発表から7年が経つこの人形だが鋭利な印象は発表当時から変わらない。
それどころかますますの魅力を得てはいないだろうか。
会場でぜひ確かめてもらいたい。
この人形には確信がある。

『長雨』
2011年に発表された江村の少女人形「長雨」は、この当時の江村としては珍しくいかにも人形らしい着地の作品だった。
制作開始から完成までだいぶ手をかけていたのを覚えている。
着衣の状態では伝わらないのだが、かなり特異な身体性を有している人形でもある。
極端に細く長い四肢や首、強いくびれの腰、肩の球体部分は全身のバランスを崩すギリギリのところまで誇張して作られている。
発表当時この人形に添えられていた「長く泣いた後のような表情」という江村の言葉は今も記憶に残っている。

球体関節の様式を使いながらオブジェ的な人形を発表してきた江村の、この作品はひとつの転機になったのではないかと思っている。
江村の内にある「人形」という表現の幅を広げてくれたのは、この「長雨」という少女人形ではないか。

その「長雨」を2019年3月。
久々の展示に合わせてリメイクした。
すでに完成した作品には手を入れたがらない江村だが、心境の変化もあったのだろう。
髪を貼りかえ衣装も仕立て直し、なんだか風通しが良くなったような感触がある。
リメイクに際し「8年前の自分が考えていたことなんてもうわからない」と語った江村の、その突き放し方もまた清々しい。

『沈潜 0時/1時』
2012年に発表された沈潜は、3体で構成された連作だった。
それぞれ0時、1時、3時と題されておりこの時刻は心の奥深くに沈みこむ経過を示している。
初回の発表時(個展「箱庭の秩序」)に3時が個人蔵となり、江村の手元に0時と1時が戻ってきた。
以来アトリエで眠り続けていたこの作品を、数年ぶりに展示に出してもらったのは、ごく個人的な思い入れによる。

江村の第2回個展であり東京での初個展となった「箱庭の秩序」を告知するプレDMに、この2体の人形写真が起用されていた。
その静かな佇まいは忘れ難くあり、断章‐Fragments‐展の企画が持ち上がった際、この2体はぜひ展示してみたいと江村に出品を依頼した。

当初江村は、この作品の出品を渋っていた。
発表からだいぶ時間も経っており、あらためて展示するほどの強度がこの作品にあるのかと迷っていた。
確かに現在の江村の作品と比べると余白も目につくのだが、しかしこの姿はこの時でなければ出てこなかった表現でもある。
近作しか知らない人にとっては新鮮だろうとのことで出品を承諾してもらった。

そんな経緯もあり、次にこの人形達を見られる機会は、今を逃したらもうないかもしれない。

(文:篠塚伊周)



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■赤色メトロ(人形作家)

『「人魚」 小川未明「赤い蝋燭と人魚」より』
小川未明の「赤い蝋燭と人魚」に材を得たこの人形を初めて見た時、赤色メトロは物語を読める人なのだと確信した。
物語の読み方が上手な人、とも言えるだろうか。
一編の物語を読み解き、さまざまに光をあて、その断片をもって美しいモザイク模様を作り上げていた。

背景としての物語を知っていれば、さらに深いところまで楽しめる人形だろう。
物語を知らずに、或いは切り離して見たとしても、この人形の存在は際立っている。

人魚は2016年10月の京都山科・春秋山荘での人形展「縁 ENISHI」に出品され、その後の東京巡回展(パラボリカ・ビス)、翌年5月には同会場で開催の「大正浪漫幻想短篇集」にも出品されている。
断章‐Fragments‐展では同展参加の日本画家、麻生志保による群鯉の絵の中に人魚を放ち、これまでとは違う見せ方を試みた。
命蠢く色彩の渦に揉まれる人魚の姿、そこに生まれる物語を思いながら。

『弦月』
「弦月」は2018年9月に京都山科・春秋山荘を舞台に開催された「黄泉月夜」展で発表された。
月をテーマにと依頼し、赤色メトロが提出してきたのがこの少年人形だった。
メトロの少年人形は珍しい。
滅多に作らないのだからこの人形が少年だったことには驚きもしたが、さらに驚いたのは抜群に仕上がりが良かったこと。

月明かりの下でしか目を覚まさない少年、という漠然としたイメージから制作された弦月には四肢がない。
この人形には必要ないとの判断であり、これは肉体的な欠損とは違う。
通常は真球かそれに近い形状に作る腹部の球体パーツは、この人形に限り歪であり、月面のようなテクスチャも含め印象的だ。
歪な腹部球体をもって「この世のものではない感じ」を表したと言う。

自身の内の不確かなイメージが粘土という肉を獲得したなら、メトロはありのままを受け取り、必要なディテールを加えていく。
そこに意味は求めない。
考え過ぎると人形が迷子になってしまうのだろう。
常にそういう姿勢で制作にあたる為、ふいに作れなくなる時があるようだ。

昨年辺りからメトロの制作は足踏みの状態にある。
何かが決まらない、どこかが嵌らない。
制作は継続しているが、なかなか完成には至らない。
そんな中で発表された弦月はしかし、停滞を感じさせない見事な出来ばえだったのだから、然るべきタイミングに最適の姿で生まれてくる赤色メトロの新作を、今はただ心待ちにしている。

(文:篠塚伊周)



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■土谷寛枇(人形作家)

『ritorna』

和紙を貼りこんだ白い肌。野生の宿る身体性。
心地よく過剰であり歪に美しい。

2018年12月に完成しイベントの期間のみパラボリカ・ビスの一室でお披露目された土谷寛枇の少女人形ritornaは、麻生志保(日本画家)の描いた鯉絵に捧げられた人形でもある。

事の始まりは2017年6月。
麻生と土谷の二人が参加したグループ展にある。
この展示で土谷は、麻生の鯉絵から抜け出たような少女人形を発表している。
絵から抜け出た少女人形が鯉に戻り絵の中に帰る、というイメージで制作されたのがritornaになる。

2019年3月に清川村(神奈川県厚木市)で開催された「村活、 美活、 茶活。」での麻生のインスタレーションにもこの少女人形は参加した。
この時のインスタレーションの一部は、断章‐Fragments‐展でも見ることができる。

近年の土谷寛枇の人形は見ていて気持ちが良い。
伸び盛りの頃の作品は、勢いだとか熱量だとか、瞬間にしか絞りだせない力に満ちている。

(文:篠塚伊周)



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■ヒラノネム(人形作家)

『サボテンクマさん』
ぬいぐるみのようなシルエットのクマの球体関節人形は、2016年2月にパラボリカ・ビスで開催されたLittleCreatures展「紙のいきもの」「森のいきもの」に出品されたヒラノネムの作品。
ヒラノが得意とする色和紙の貼りこみで仕上げられており、全身の棘は可動するという不思議な構造。
ペイントはアクリルで最小限に留め、色和紙の風合いを立てている。
ボリュームはあるが、見た目ほどには重くない。
紙の繊維が心地よく残る手触りも魅力のひとつ。
非常に洗練された造形作品であり、創作人形という枠の中だけに留めておくのはもったいようにも感じている。
サボテン動物はシリーズになっており、クマの他にウサギも制作している。

『よる桃さん』
サボテンクマさんと共に2016年2月にパラボリカ・ビスで開催されたLittleCreatures展「紙のいきもの」「森のいきもの」に出品された。
亀の女の子でお友達のヘビちゃんが体に巻きついている、という設定だ。
色和紙を貼りこみ、細かな部分はアクリルペイントで仕上げられている。
フェイスペイントは文化人形のタッチ、展示ではなかなか見ることができないのだが、立派な甲羅を背負っている。
ポップなこの人形の手足は、よく見ればアンバランスなほど肉感的に作られており、ヒラノの確かな造形力を思う。
彼女が何を思って亀と文化人形を融合させたのかは分からない。
本人に尋ねても明確な答えは返ってこないだろう。
おもしろそうだったから、きっとそんな風に答えるのではないかと思う。

ヒラノは現在、制作を休止している。
環境など諸々が整った時にはまた人形制作に復帰してくることだろう。

(文:篠塚伊周)



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■吉田美和子(人形作家)

『グレーのジャケットの少年』

吉田美和子による少年人形達は2013年11月にパラボリカ・ビスで開催された「少年とウサギ」展に出品された。
そのひとりがこの人形。
あどけない輪郭に勝気な性格がのぞく鼻筋が印象的な少年。

吉田は完成した人形に執着を持たない。
人形達の行く末に思い馳せることはあっても、自身を投影することはしない。
各人形につけられたタイトルもだから便宜上のものであり、それ以上の意味はない。
いつか誰かに望まれ迎えられた時、初めて特別の名付けがされるのだからと、空白を残しているのだ。
その空白を引き受けてくれるたった一人を、今日も少年人形は待ち続けている。

『紺のジャケットの少年』

「少年とウサギ」展に出品された少年人形のひとりであり、会期終了後から今日まで、同時出品されたもうひとりの少年人形と共にパラボリカ・ビスで暮している。
時折カフェスペースやショップスペースに姿を現していたが、本格的な展示参加は久しぶりのこと。
すんなり伸びた四肢と細身の体型は大人びても見えるが、対照的に頬の丸みはあどけなく、彼がまだ少年であることを明確に示している。
いつ見ても吉田の少年人形の佇まいは心地よい。

吉田美和子が制作したある少年人形は、2005年に長野まゆみの小説「天然理科少年」が文庫された際のカバー写真に起用されている。
この文庫から吉田の名前とその活動を知ったという人も少なくない。
しかし頻繁に展示参加する作家ではないので、直に吉田の人形を見られる機会は貴重ではないかと思う。

(文:篠塚伊周)



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[同時期開催]

中川多理写真展「貴腐なる少年たちの肖像」
2019年3月2日[土]~3月31日[日]★金土日祝のみオープン


「遊讀茶会」お茶と会話を愉しむ読書会
3月9日[土] 、16日[土]、30日[土]