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夜想#モンスター&フリークス

松丸本舗 清水真理の展示

朝方まで松丸本舗でセッティング
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丸善の松丸本舗に清水真理さんの人形をセッティング。ショウウインドウのバックから、ガラスからのセットチェンジなので、6時間以上かかる。人形の周囲に積む本を選んでカバーを外す。だんだんカバーを見ると表紙が分るようになってくる。何にもデザインしていない真っ白のもあってびっくり。

セッティングの待ち時間に松岡正剛さんと床に坐って座談。松岡さんは黒い靴下、ボクはガラの赤い靴下。ウィンドウの中も赤白のパートがあってちょっと面白かった。また少し松岡さんは柔和になっている。時はたつものだ。あっという間に。

松丸本舗の本の集合の彼方にある気配。本は集められただけなのだが、その組み合わせに人の思考の気配がする。松岡さんは人に影響を与える人だから周囲も同じ気配がする。たぶんボクはちょっと異る何かをもっていると思う。最近、そうした自分を合わせ込むのも好きなので、そうしたつもりだけどそれでも違和感はあるだろう。受け入れる松岡さんは優しくなっている。

人形も裸体、だから本も裸体。本はどこかおとこ性があるけれど、最近の本は女性の感じもする。

赤いスピンを使った展示。どうだろう。綺麗に仕上がったと思うが。
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寺山修司の本を多く入れ込んだ。それはボクと松岡さんのレクイエム。
寺山修司、土方巽、そこにまつわる人たちも消え、時代の漂白感は強いがそれでも本はそこにありいくばくかの身体の気配を伝えてくる。

まだもう少し奥が見えたい。まだ少し気配の編み目の成立をしりたい。そんなことをセッティングしながら思っていた。
明け方、自転車を飛ばして事務所にもどる。また思索の時間に耽っていく。


update2010/04/29

夜想#モンスター&フリークス

大道の遠野

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70年代、写真はモノクロで暗いトーンをしていた
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夜に向って遠野の空には
烏のような雲が立つ。そして流れて浮かぶ。

座敷童子に呼ばれて遠野にふらりと出かけた。
森山大道が遠野物語を撮ったとき
僕はワークショップにいた。それは森山大道、東松照明、深瀬昌久、荒木経惟…時代の写真家たちが若者にプロになる手法を伝授するワークショップだった。ワークショップより塾という感じだったかもしれない。
僕は深瀬昌久のところにいた。

深瀬昌久の鉛のような空に浮かぶ烏のような雲。
それは形が烏なのではなく、烏のような存在の雲
だから一生かかってもまねすらできない。

森山大道の遠野も行ってびっくりしたのは、遠野は普通の田舎町だった。
今から30年も前。
座敷童子も河童もオシラ様もいる町だけどその姿はなく
ただただ東北の田舎町。
あれは森山大道の遠野なんだとつくづく写真家の力に敬服した。

そして昨日、座敷童子に誘われて遠野に入った。
遠野物語100年記念。
町の古い雛を見て歩いた。文久のころの江戸雛がたくさんあって人形の力をまた再認識した。

ちょっと残念なのは汚れて古びた雛を地元のひとがよしとしないで
中途半端に直したり、新しい服を着せたり、アデランス(地元のひとはそうい言っていた)を被せたりしてしまうことだ。
なんか日本だな
と、思った。

遠野は実はまだまだあるのに
人がそれを失わせている。古くて時代があるものの良さをどうして分らないんだろう。
存在し続けるという継続は一旦失ったら回復はできない。
それにかかわる気持ちも。

遠野はほんとうに遠いところに行ってしまうのかもかもしれない。
座敷童子も静かに姿を消さないといけなくなってしまう。
座敷童子は夜にそんなことを話していた。遠野にはまだ普通にいる。

でもそれは少女たちがある日を境に見えなくなってしまう妖精のような存在で
見える少女たちがいなくなったら
妖精はいないことになってしまう。


update2010/03/04

夜想#モンスター&フリークス

ポーランド人形展

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ポーランドでの人形展が

ついに中止というところにまで来た

振り回された10ヶ月だったが
収穫はベルメールのことをもう一度、考えることができた
ということだ。

それは何かの形で
見せていくことになると思う。


update2010/02/23

夜想#モンスター&フリークス

花代 作品集

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写真が張り込んである

花代作品集の表紙に花代と点子がドローイングする。

会場限定の作品集ができあがった。
アルバムに貼られた写真

もしかしたらまた花代の写真が足されるかもしれない余白がある。

未完成のままフローティングする作品集。

update2010/02/12

夜想#モンスター&フリークス

花代の幽霊

ビスのプレオープン。
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久しぶりに赤々舎の姫野さんと会う。
花代さんとトークショウ。

今回の写真展にはイメージのゴーストが使われている。
重ねて出てくる幽霊。
話をしていて気がついたのだが
写真を重ねてイメージが曖昧になるほど
花代が写真を通して向っていたもの
自分のなかにあるもの
それがはっきりと出てきている

8mmの作品もじっくり見ていると
森の奥にいる幽霊のその向こうにいる
感覚の魂がはっきりと見えてくる。

私が死んだ後
撮った膨大な写真のフィルムを見たら何かが分るかもね
って、花代は笑っていたけど
そうかもしれない。それに向い合えるきっかけになると思う今回の展覧会は
かなり面白くできたと思う。

花代の幽霊……。
うん、いいかもなあ。

update2010/02/11

夜想#モンスター&フリークス

浅川マキ

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次回展覧会は、たまたま
花代と清水真理の二人が場所を分けてそれぞれに
展示をすることになった。


花代は、花代が高校生の時からの知りあい。
40歳の誕生日をするからと、はなからおけにでかけた。

松田優作の横浜ホンキートンクを歌って
その後に浅川マキのカモメを入れておいた。

女優のEが寺山修司だのその時代だのの演劇について
熱く思いを語っていたから
じゃぁと…
優作の歌を知ったのは、浅川マキの池袋東映映画館の大晦日ライブ。
大晦日ライブには毎年、ゲストで男優が呼ばれていた。
原田芳雄、松田優作、菅原文太…。

浅川マキの大晦日には学生の頃から通っていた。
アケタの店にも行っていた。満員でピアノの下で聞いたこともあった。
寺山修司、土方巽、笠井叡…子供の頃、みんな会ってくれて、知り合いになった。
会いたくて直接会えなかったのは、マキさんだけかもしれない。

花代の誕生会はちょっとしたトラブルで途中で河岸を変えた。
僕は、かもめを歌わずに会場を出た。

『朝日楼』も『それはスポットライトではない』も『ロング・グッドバイ』もカラオケには入っていない。
朝日楼は、ちあきなおみがカバーしたけど…
でもちょっと明るすぎるな。朗々としている。哀しい話なのに詩を少し代えてアニマルズが朗々と歌ったのを
もとに戻したのがマキ。
ロング・グッドバイは、寺山修司の詩で…
前に憂歌団が東京初お目見えぐらいの感じで
東映映画館の大晦日にでて、マキさん歌っているときに憂歌団コールが起きるというとんでもないことになって
さくっと憂歌団にステージを譲ったあと
次のステージで歌ったのが
ロンググッドバイ、会場は静まり返っちゃった。演奏も抜群だし良かった。
その時から憂歌団の内田勘太郎がマキのギターを弾くようになった。

内田勘太郎や渋谷毅は
マキさんのステージで時折とてつもない演奏をする。
マキさんはそれを待って、いつもいつも二人をステージに呼ぶ。

みんないないのに
マキさんもいっちゃうのか…。
いつか会えるんだろうなと思っていたけれど
もう
向こうでしか会えない。

線路は続くよどこまでも…。
もうあの歌は誰も歌わない。誰も歌えない。
地上から消えた。
もっていっちゃった。寺山さんの元へ。
かもめもずっとずっと唄わなかったものね。
寺山さんが亡くなってから。

さよなら。
マキさん。

またね。

update2010/01/18

夜想#モンスター&フリークス

銭洗弁天

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3日、夜9時、銭洗弁天。

メールが入っていた。
年の瀬に腰の痛みで立てないまま扇ヶ谷の奥に
蟄居しているのを
誰が知っていたのか。

そろそろと歩けるようにはなったので
時間に銭洗弁天居れるように
坂を登って
この坂はこんなに急だったけ。
まだ宵の口なのに闇は深い
仮粧坂(けはいざか)の位置を間違えて少し脇道に迷ってしまう

ふっと人の気配はするが
誰もいない。
トンネルを通って銭洗弁天に入る
誰も居ない。午後9時に誰も居ない。
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洞窟の泉の前で
しばし待つ。白い蛇の神様。茶屋に小さな看板がある。
何年か前の正月、参拝者でごったがえする、この茶屋で
店の人に化身と拝まれたことがある。
美容院に行ったばかりのことで
プラチナブロンドの髪は蛇に見えたのかもしれない。

からからを鈴を鳴らす音がする
この夜に少女が参拝をしている
裏の坂を登って降りてお百度を踏んでいる。
声を掛けるのをはばかったが
すれ違いざまに小さく呟いた

あなたですか。

少女は答えず
裏山に消えた。
そして二度と現れなかった。
裏山の道は、鎌倉五山を抜けていく
尾根道。
子供の頃、毎日のように遊んでいた道。

意をけっして
後を追った。

道は記憶の中で
暗濁してようと方向が知れなくなった。
しばらく彷徨ったあげく
実家の瓜ヶ谷戸への道をみつけ
そのまま駅に行き

東京へ向った。
また日々がはじまる。


update2010/01/05

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