山本タカト
幻色ののぞき窓 山本タカト 芸術新聞社
谷戸に住んでいた私は
午後3時にもなると日蔭になってしまう北鎌倉の自宅を呪うようにして生きていた。
ここを出るんだ…。そのことばかりぶつぶつと繰り返していたような気がする。20歳のときに家を出てからほとんど鎌倉を故郷として振り返ることはなかった。死ぬのはヴェネチアでなどどほざいているが、そしてかなり本気なのだが、何十年かぶりで北鎌倉の実家を去年訪れて、思ったのは、この谷戸に根が生えてしまうように、根と同一化するかのように居てしまうことを怖れていたんだと気がついた。
タカトさんの記述の中にも根が、延びていく根が、と、そこから手が勝手に根のように動いて行って、根のような絵を描いていくという…そんな感じは、究極のタカトさんの絵の、線の感覚であり、絵の源泉であるのだなぁと思う。絵はモチーフを思いつく以外に、こういう感覚のリアリティによって描かれるのだろうし、むこうから入ってくるものによって動かされるものと手の織りなしによってできあがるのだろうなと思う。
幻色ののぞき窓には、小村雪岱や鏑木清方(エッセイが素敵)の文章にでてくる絵師の絵師たる由縁、美術学校で教えてくれないような、それでいてそれがなければ一級になれないような独特の絵の馴れ初めが書かれている。黒は色の黒ではなくて、出会った闇にどう魂がもっていかれたかの黒であると思っているが、その黒の在り処をタカトさんは語っている。自分にとっての黒は、天井桟敷の完全暗転や、暗黒舞踏の微かに輪郭を光らせている身体を呑み込んでいる闇。絵画の感覚からはかなり遠い。だから絵画の秘密を感じられる本には幻惑を受ける。
もう一度、ベルメールの線について考えてみようと、思いたった。
update2010/04/28





