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押絵と旅する男

押絵を旅する男/江戸川乱歩
朗読 井上弘久 美術 日野まき
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乱歩と潤一郎の版権が今年切れる。青空文庫では一斉に解禁になるだろうし、一方、詳細な研究の進んだ谷崎潤一郎の全集の刊行も進行している。

そんなこともあってか、ないのか、茶会記で乱歩の朗読会を企画することになった。茶会記は四谷にある喫茶バーでイベントもする。
茶会記は羨ましいほどに言い名前だ。
作を選ばせてもらうなら、「押絵と旅する男」。自分としてはこれ。人形繋がりということもある。夜想の「カフカのよみ方」で体得した本のよみ方その一。自分の得意ジャンルからの視点で入る。
僕で言えば、踊りとか人形とか。他の人のカットインに乗るという方法もある。贅沢な感じで髙橋悠治のピアノを弾く指とか。もちろんピアノや音楽に素人な自分では、乗り切れないけれど、目の前が開けるような視点をもらえることもある。


押絵を旅する男 Ⅱ
2月13日、14日にパラボリカ・ビスで再演するのだけれど、日野まきの美術が朗読をブローアップしている。乱歩の「押絵と旅する男」の挿絵でもあり、井上弘久の朗読演劇の美術でもある。
挿絵といえば、小村雪岱。「一本刀土俵入」の取手の宿の舞台装置の鏝絵で六代目菊五郎を喜ばせ、台詞が美術作品に及んでいる。昔のコラボレーションは粋に満ちあふれている。自分を主張するのではなく、コラボレーションして出きあがるものに対して情熱をかけているのが素敵だ。
ともあれ人形で「押絵を旅する男」を読むと兄さんと弟の感情の交錯が見て取れて面白い。視点をどこに置くかで隠れているものがでてくる。
「押絵と旅する男」は、乱歩の覗き見趣向、レンズ嗜好がからくり箱にしっかりと嵌まった名作だけれど、今回、朗読を手伝っていて気がついたのは、「ピントがあう瞬間」の魅力だ。


押絵を旅する男 Ⅲ
乱歩は、中学生の頃、部屋に閉じこもりっきりになって雨戸の節穴から差し込む光を見ていたことあがあり、それを自分では憂鬱症と言っていた。差し込んだ光が天井にもやもやを作り、それに驚愕して慄いていたがしばらくしてその正体を発見する。(「レンズ嗜好症」)
何だか分からないものにピントがあって像がくっきりする。その瞬間のゾクゾク感、それが乱歩のレンズ嗜好なのだ。「押絵を旅する男」は、態々魚津へ蜃気楼を見に出掛けた帰り途であった。私によって書かれているが、相変らずの癖というか文体で、これは乱歩自身のことである。不用意に小説の中に出てくる乱歩のその有り様を愛でる中井英夫が分かるようになったのも、今回の大きな収穫であるが、それはともあれ、蜃気楼、遠眼鏡のピントが合う瞬間の魅力が乱歩の囚われていた書くことの魅力の一つだろう。押絵がなんだったというユリイカの瞬間とその設定が、乱歩の書く醍醐味だったのではないだろうか。