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コウソクスブニール

屍体にはその人の経歴がある。物体じゃないんだ。被爆を覚悟で取りに行くべきだと私は思う。(小出裕章)


少し大きめの試験管に筒状に丸めた楽譜をしまいコルク栓をした。

たとえば小説にこういう文章があると、とても気にかかる。楽譜が入る試験管がほんとうにあるだろうかとか、あるとしたらその大きな試験管はけっこう不細工なんじゃないだろうか、標本室にふさわしくいなあとか。新品だろうか。ガラスは綺麗なんだろうか。その試験管が入る試験管立てをピアノの側に置いたと書かれているが、それは大きすぎて美しくないし、そんな巨大な試験管立てはないだろう。ないものを描かれても受け入れるように流れている小説は、なかなか身体に入ってこない。自分のもっている物質感やディテールのリアリティが、観念だけで構成されている言葉の浮游感についていかれないのだ。

標本というからには、物資が持ち主の皮膚感覚をうつしてものになっていく経歴が必要で、もし人の思い出を標本にするならそこが肝要な地点になるだろう。たとえば骨も年齢を経た骨のほうが面白い。若い骨は生物に近くそのものの生きた履歴が少ないからだ。骨には骨だったものの経歴が形になって反映する。

パレルモのカタコンベには800体ほどの木乃伊が眠っている。一人一人、今でも性格が分るほどのディテールやシェーマが残されている。もしかしたら生前よりそれがはっきりしているかもしれない。性格のきつそうな人もいれば厳格そうな司祭もいる。数百年前の屍体には思えない。昨日亡くなった人の様だ。世界でもっとも美しい屍体と言われる幼児の木乃伊もそこに眠っているが、DNAの掛け合わせによる個性はあっても人間という動物に近く、人格が付与していなく、それがゆえに怖かった。

3月11日以降、ネット配信で小出裕章さんの原発事故の現実についての話しを毎日のように聞いている。ネットは2チャンネルを始めとして、人の心に潜んでいた悪意のようなものを発露する装置になっていたと思ったが、ここに来て別の機能をもちはじめた。風評はむしろ政府が流している。東電も流している。原子力推進だけを考えているご用学者が喋っている。今、NHKと民法で政府の意向を受けて行っている事故を最小評価しようとする、そして事実を隠ぺいして人を死に追いやっても平気であろうとする情報を流しているのは、風評ではなくて直接的な犯罪だと思う。

少しでも放射能は身体に悪いですよ、被爆基準は推進派が決めたものですよ…と言っている小出裕章 さんが、福島原発10キロ圏内から逃げてきた人の質問に答えて、大切なものだと思うなら被爆を覚悟で取りに行きべきじゃないでしょうかと生きることは何かとを語ってくれた。チェルノブイリで危険を顧みず愛猫を連れに戻った婦人の姿を見て、生きることはこういうことなのじゃないかと。いくら放射能に汚染されているといっても屍体は物体ではないんですよ、その人が家族と生きてきた履歴があるんです。歴史があるんです。連れて帰らないと生きていけない人がいるんです。そのことを政府は分るべきですというようなことを語っていた。厳密に科学として事故に向き合っている小出裕章 さんが、人の気持と生活を第一に考えていることに感銘を受ける。

使われものは履歴がある。物質からものに変わっている。夜想骨董市の店主も40年の経験で、骨董は履歴を渡す仕事なんだよと教えてくれた。その店主が思い出を瓶に封入する。